木曜日, 11月 03, 2005

人は皆違っていく生き物

世の中的に平日か休みか、を
一番肌で感じさせるものは、
町の様子とテレビ番組です。
テレビを殆ど見なくなって、
世間と距離を置いてみるのもなかなか楽しいものです。

記憶にはある日不思議だと思って
心に引っかかった言葉が集まります。

「この業界は狭いから」と言う言葉は、
なぜかどこの業界の人からも聞かれます。
業界に広いところなんてあるのだろうか、という疑問が生じます。

「あの人とは根本思想が違っていた」ということが
仲違いの原因になったりして、
しかしある一時期は共通点を持っていたからこそ
そこに共通の時間が生まれたわけで、
果たして「違っていた」ことは
世間的に言われる「勘違い」ではないのではないかと
不思議に思っています。

年は取りたくない、と言いながら、
忙しい今週は早く終わらないかと思う気持ちは
よく分かる心境なのですが、
時間的に厳密なことを言うと矛盾しています。

キャバレーに通う紳士、
マイクを握ったら離さない後援会幹事、
立ち話に熱中する淑女、
共通するのは「話し相手が欲しい」という欲求で、
それは年を重ねるごとに増していくもののようです。

似ているものから始まると、
若者は個性が少ないとか個性を求める、と言う気持ちは良く分かって、
同じ時代環境で育てば多かれ少なかれもともと似ています。

このような連想から行くと、
よくブログの質問にある
「あなたと瓜二つの人が現れたらどうしますか」の問いに対して、
多くの人は「一生理解しあえる話し相手にする」と答えるのが
自然なような気がします。

違う個性に刺激を受け、同じ個性に安心を得るとすれば、
人が違い続けていくということは
安心ではなくなっていくということなのだろうかと
時々難しく考えます。

西洋では個の概念、東洋では集団の概念、と
区別したとしても、
人はいずれ違っていく生き物であることは
どの世界でも変わりません。

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