木曜日, 11月 24, 2005

南無阿弥陀仏と、ひつじが一匹

カフェインの入ったコーヒーが苦手です。
体がとても緊張してしまいます。
たくさんは飲めないので、
小さなカップで飲むか、
カフェインレスのコーヒーを頼みたくなります。

自分の軸を時折見失うことがあります。
おおむね集中できないときに起こります。
ひつじを数えると脳が忙しく動き出して眠れなくなると
何かのメディアが言っていたようですが、
わたしはひつじを数えると良く眠れます。

想像、という定義は
頭の中だけで世界を作ることであって、
小さい頃はよくやっていて、
大人になるとなかなかしないものかなと思います。
この「脳を落ち着かせる」という方法に、
繰り返し脳の中だけの入出力を行う、という行為が
有効なのではないかと思っています。

全ての宗教に祈りという反復行為が伴い、
唱える言葉が存在します。
実在の論議を少し脇において話を進めるならば、
それはひつじが一匹と数えながら眠るのと
特に違いがないような気がするのです。

思考はひとつではない、というのは
かなり前に気がついたことで、
さまざまな感情が自由に表れたり消えたりしています。
これは脳の細胞が個別に活動できるからであって、
手と足を同時に動かせることの理由と
特に大きな違いはありません。
そして脳の中の協調動作が乱れると
混乱してしまいます。

脳だけでの入出力というのは、この乱れた動作を
もう一度まとめ直す意味があるのではないかと
最近思っています。

人の心を落ち着かせるのには「ひつじが一匹」で十分で、
神様を登場させるのは
概念としてちょっと強力すぎる施策じゃないかと考えます。
100mを10秒で走れる人が限られるように、
神様の概念をうまく援用できる人も限られているように
感じるからです。

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