月曜日, 11月 21, 2005

prohibited?

黒パンを食べるロシア、
とうもろこしを食べるメキシコと
食べ物は千差万別ですが、
人に関する歴史があるところには
なぜか酒だけはあります。
自分の意識という壁をなんとかして取り払いたいと思うと
何らかの外力が必要なのかもしれません。

気持ちの壁で思い出す話は象を飼いならす話で、
小さい頃に脚を紐のついた杭に縛られて過ごすと、
大きくなっても地面に打たれた小さな杭を見ると
動くのを諦めるのだといいます。

得意なことはいくらでもできそうで、
苦手なことはとても続かないものだったりして、
「持つものはさらに与えられる」の理由は
こんなところにあったりするのだろうかと思うこともあります。

心理学以外の心的効果を除けば、
占いやまじないの類には
まったく信憑性がないことは明らかなのですが、
夜の新宿駅前にはたくさんの占い師がいるし、
雑誌には星座占いが載っているし、
縁起を担ぐ人がたくさんいたりします。

非科学には幾通りもの「答え」なるものが存在するため、
できるだけ気持ちのよりどころに
非科学を持ち込まないようにしてきました。
しかし最近少し発想が変わってきて、
全てが正しく「固定された真実」であるという存在に
人というものは耐えられるのか疑問に思うようになりました。

固定された真実には逃げ場がなく、
好き勝手な行動が許されないことが増えてきます。
もちろん日々の出来事は現象として一つで、
その効果と解釈は関わった人の分だけ存在するのですが、
自分がおかれた状況の解釈を
丸ごと受け入れられない時が時折あります。

そんな時に、世の中的になんだか良く分からないが
受け入れられている「非科学なもの」というのは
その解釈に新しい可能性を残すことができそうで
なんだか期待してしまうのです。

川本真琴の歌の中に
禁止したって人類はぐんぐんはみ出してゆく、
というくだりがあって、
その表現はとても確かな感じがします。
果たしてこんなことをして何になるのだろうと
考えたくなる気持ちは、
生きるために一生懸命になっている時には思いつかないものです。

人間だけがこの世界で住む仕組みを変えてしまう、というのは、
考えることの1/10しか表現できない人間の脳の
せめてもの頑張りなのかもしれず、
そのためにいろいろな壁を感じるということ自体には
それが必要な何らかの意味がありそうだと考えます。

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