水曜日, 11月 16, 2005

畑の概念

家では玄米茶を良く飲んでいました。
香ばしくて気に入っています。
時折塩を口に含みます。
冬は体が乾燥しやすいのです。

秋になるとさんまが一尾50円くらいで
スーパーに並びます。
安くて新鮮なので買いますが、
ふと一尾50円で経済はちゃんと回るのか
すごく不思議に思うことがあります。

供給が多すぎると値崩れする、
これは市場原理の講義の初期の頃に現れる
基本定理です。
人間の労力と機械の労力を足したものが
市場が求める量より多い場合、
労働が値崩れします。
しかし労働が続かなければ給料は得られず、
どこかで調整が必要になります。

一生懸命働くことは必要だと思いますが、
何のために働こうとしているのか時々考えていないと
労働過多の世界の調整ができません。

この間「叩き台」を作る難しさを話していて、
最も必要な仕事は「叩き台」にあるのではないかと
認識を持ちました。

叩き台は手探りで作られます。
そしてたいていの場合不恰好です。
叩き台があるからこそそれを純化して
より洗練した姿にすることができます。

どちらかと言うと、人は
叩き台を作ることよりも、
洗練させることのほうを好むようです。
楽に何か良い結果が出たような気分になるからです。

叩き台を作るのには
ずいぶん泥臭い手続きが必要です。
情報を集めて試行錯誤して、
それでできたものはその時点では
どこか垢抜けないものだったりします。

でも一度核ができてしまえば、
あとはその核の可能性に応じて
自由に発展させることができます。
それはおもちゃを作る人と、
おもちゃで遊ぶ人の違いでもあります。

どんなに面倒でも、
叩き台を自分で作る気持ちを忘れたくないし、
余剰の労働力は創造的な事柄に振り分けれたらいいなと思います。
それを横取りしたりちょっとだけ使おうとする人は抵抗を持ち、
別の場所で叩き台を作っている人は大好きです。
そして「荒野に畑を広げる」ことに相当するものが
「未知の世界に叩き台を作る」ことだと考えます。

0 件のコメント: