木曜日, 11月 17, 2005

階段建設屋

最近試している健康向上対策は
なぜかことごとく成功しています。
しかしそれはストレスそのものを感じなくなっているかもしれなくて、
ストレスがあるときには健康対策って
効果が殆ど現れないんじゃないかと思う今日この頃です。

結果が出て名を残すことばかりでしか評価されない、と
まことしやかに言われる風潮がいやで、
初期の苦しい段階でとても力になってくれた人を
どういう言葉で形容すれば確かな賛辞になるのかと
よく考えていました。
ボスの追悼文の中に
「道をつけてくださいました」という一言があって、
ああ、この言葉だと納得しました。

道を歩くことと道を開くことは別物です。
開いた道は誰でも歩けますが、
何もないところに道を開くことは限られた人しかできません。
このできないという表現にはかなり問題があって、
やればできるかもしれないけれどやりたくないと思う人は
少しぐらいやったらいいじゃないかと思ってしまいます。

この国に新しい宗教も文化も多分必要ないのですが、
正しい気高さ、ある種のプライドのようなものって
少しぐらいは必要じゃないかと感じることが最近増えます。
全く棘がなくて攻撃性のない人が
マスコットのように愛される、というのは
確かに理にかなっているような気もしますが、
多少手ごわくても芯がある人というのは
この国ではとても警戒されます。

ビルを作るには重機が必要で、
電力を作るには核燃料が必要です。
人が進み登る道を作るのであれば、
それに叶った強さを持つ人が求められます。

最近、同じような気持ちを
繰り返し違う表現で書いているような気がします。
こう思う気持ちののなかに何があるのか、
なぜそう思うようになってしまっているのか、
その理由はまだ聞かされていません。

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