火曜日, 8月 08, 2006

魔女の血、絵描きの血

久しぶりにメカ設計始めました。

時々頭の中が矛盾だらけになります。
客観的にみれば何も変わっていないようで、
実は1秒1秒をやり過ごすのがやっとであるほど
存在とか意味とかに強く囚われていることがあります。
それが解けていくと、
落ち着いた自分を取り戻すことができます。

「魔女の宅急便」を買って観ました。
飛ぶこととそれに自信を持っていること以外取り柄がなくて、
でも飛べることだけを頼りに街へ出る
13才の女の子の話です。

素直な田舎で育ち、疑うことを知らず、
正しいと思った方向へまっすぐ進みますが、
最初はなぜか世間と歯車が合いません。

孫を想うおばあちゃんの「にしんのパイ」に心から共鳴し、
壊れた電気オーブンの代わりに薪のオーブンを提案し、
パーティーに遅れそうになり、大嵐の中で届けたのに、
受け取った孫は「あたしこのパイ嫌いなのよね」と
冷たく返事をされてしまいます。

一生懸命やってきたことは何だったのだろう、
そう迷う気持ちが魔法の力を弱め、
ある日たった一つの「飛べる」自信さえなくしてしまいます。

なにも取り柄がなくなってしまった自分を
絵描きの女の子が訪ねます。
自分の中にある「力」は不確かなもので、
そんなときはどうするの?と問う小さな魔女に
「じたばたするしかない、
それでだめならしばらく諦めるしかない」と告げます。

絵描きも決して悟っているわけではないし、
苦しまなくなったわけではないのです。
ただ何度も壁にぶつかり、
その度に問い直した結果なのだと思います。

この映画が特に好きなのは、
「世間から見るとありふれたものかもしれないけれど、
自分に備えられた、好きで大切な何かを
生きる糧にする」ことが
描かれているからかもしれません。

与えられた仕事をひたすらこなし、
評価基準が比較的明確である段階から、
自分が発想して環境を作っていく段階へと
時間が経てば全ての人が移行するように
この世界はできているのです。

そのときに社会の瞬間的な流れに沿うのか、
それとも沿って行かないのか、
答えのない判断を絶え間なく続けなければなりません。

先達がいるところは楽です。
でもそこに自分だけの場所はありません。
生きる辛さは分からない辛さと同じで、
人は一生かかっても全てを知ることはできず、
しかし自分を知りたいという声を
ごまかすことがなかったものだけが
至ることのできる感覚や意識があると思います。

世界に対する感覚を鋭くし、
たくさんのことを知れば知るほど、
世界は矛盾だらけで混沌としていることも分かり、
自分も人も理不尽で不条理な存在であることも分かり、
そんな日は生きる意味が見出せず
気持ちが大雨になります。

しかしそれら全てを超えて
優しく受け入れたいと願う存在だと至りたい、
生きていること自体に意味があると思っていたい、
気持ちが晴れた日にはそう思います。

なんだかカップ麺が食べたくなってきました。

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