土曜日, 8月 12, 2006

一人になって読む本

たとえアマゾン奥地への探検でなくても、
何年も週刊誌を読まなかった自分が
思い切って「週刊文春」を買ってみたのは
かなり大冒険です。

よりによって「週刊文春」である理由は、
通勤電車の吊り広告にびっしりと載せられた
「他人の醜聞」にいつも腹を立てていたからです。
芸能界、皇室、政治、風潮など
話題のねたはいくらでもありそうです。

そこまで悪く書けるんだったら
どこまで徹底的にやっている覚悟なのか
試してやろうじゃないか、と決心し
買って読んでみました。

実際には吊り広告は「張子の虎」で、
日本人らしく良心的な記事も載せながら
署名記事でさえない「マイルドな書き口」の文書が
わずか数ページ並んでいるだけでした。

ジャーナリズムがワイドショーが、と騒いだところで
徹底的な追及のレベルが低く、
西洋のタブロイド誌のように
これでもかと醜聞を煽るようなことはありませんでした。

醜聞以外にも地味で良心的な読み物があって、
それらのタイトルを前面に持ってきた吊り広告を作ったら
違う雑誌になるんだろうな、とさえ思うほどです。
今度タイトルを並び替えてみようかと思います。

久しぶりに良書を見つけました。

鴻上尚史「孤独と不安のレッスン」です。
もちろん共感する部分も多く、
さらに著者自身がきちんと不安について語っていることが
何よりの慰めになると思います。

自分で考え、自分に身についた思想だけが
どんな場所でも通用するたった一つの「拠り所」です。

たった一人でいること、そのときに考えていること、
誰でも不安と孤独には向き合わなければならないこと、
それを優しい書き口で教えてくれます。

しばらく持ち歩く本になりそうです。

ちなみにわたしは
「曲は比較的ゆっくり、明るめで
しかし歌詞が悲しい歌」がとても好きです。
悲しさが惨めさではなく歌で美しく表現されるからでしょうか。
または世界には悲しいことがある、ということを
忘れず、しかし優しく諭してくれるからでしょうか。
それとも悲しいときにやってくるものが「絶望」ではなくて
穏やかな喪失感や緩やかな感情の高まりになりうることを
示唆してくれるからでしょうか。
何度聞いても暗い気分にはならず、
むしろリラックスできます。
前向きで明るく前進的、もちろん自分には
そういう日もありますが、それは「他人向け」の自分であって、
自分本体には人と抱えることが困難な悩みがあります。

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