問いかけを「忘れていなければならない」問い
自分の読んだ本の「内容」が理解できる段階と、
いくつかの本の内容を比較できる段階は
違うものです。
哲学あたりの本、
ショーペンハウエル「幸福について」、
ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」、
カント「純粋理性批判」、
大乗仏教、坐座仏教なんかを読んで
現在までに思った共通認識は、
「なぜ生きているかという問いだけは
可能な限り忘れていなければならない」
というものでした。
カントはそれが
「生きることには理由と意味を持たない」という言葉で、
ヴィトゲンシュタインは
「生の問題の解決は、問題自体の消滅によって為される」という言葉で、
大乗仏教は
「生きているそのものこそが生きる理由である」という言葉で、
坐座仏教は
「現在にのみ集中した自分のみが全てである」という言葉で
それぞれ共通した思想を語っています。
私たちは数式を解く際に確かめられた公式を使って
便利に生きています。
もちろんその公式が正しいかどうかを自分で考えることが
一度は必要ですが、
証明がすめば後は安心して使うことができます。
命がけで哲学研究というものをした
過去たくさんの人の「公式」を使わせてもらうことにして、
この問いを可能な限り忘れることにしようと思います。
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