木曜日, 8月 10, 2006

問いかけを「忘れていなければならない」問い

自分の読んだ本の「内容」が理解できる段階と、
いくつかの本の内容を比較できる段階は
違うものです。

哲学あたりの本、
ショーペンハウエル「幸福について」、
ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」、
カント「純粋理性批判」、
大乗仏教、坐座仏教なんかを読んで
現在までに思った共通認識は、

「なぜ生きているかという問いだけは
可能な限り忘れていなければならない」

というものでした。

カントはそれが
「生きることには理由と意味を持たない」という言葉で、
ヴィトゲンシュタインは
「生の問題の解決は、問題自体の消滅によって為される」という言葉で、
大乗仏教は
「生きているそのものこそが生きる理由である」という言葉で、
坐座仏教は
「現在にのみ集中した自分のみが全てである」という言葉で
それぞれ共通した思想を語っています。

私たちは数式を解く際に確かめられた公式を使って
便利に生きています。
もちろんその公式が正しいかどうかを自分で考えることが
一度は必要ですが、
証明がすめば後は安心して使うことができます。

命がけで哲学研究というものをした
過去たくさんの人の「公式」を使わせてもらうことにして、
この問いを可能な限り忘れることにしようと思います。

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