水曜日, 8月 23, 2006

I'm not "the only one"

朝の通勤にあわせて
ココア味のプロテインを飲み始めました。
アラビアかどこかの諺で、
「腹が満たされれば精神は肉体になり、
腹が空けば肉体は精神になる」というのがあって、
体と精神は互いに支えあっているという印象を受けます。

まだら模様の世界の続きです。
確かに世界中からいつまでたっても
争いはなくなりません。
哲学の本によると、
「取得可能と思っているものを求める限り
世界全体が幸せになることはない」とあります。
富も権力も恋愛でさえも、
それ自体を追い求めるなら争わなくてはなりません。

世界がどういう状況であるか、ということと、
自分が何をどう解釈し何を願うか、ということは
本来別物です。
自分という「独立したもの」が世界のありようを、
全体として矛盾が生じない解釈ができれば
どう解釈しても自由です。
そして世界の解釈や向かう方向と私の希望が違っていても
本来は一向に構わないはずなのです。

確かに欲や希望だってたくさんありますが、
自分のありたい自分の中で一番強いものは
「全ての人が争いも欲も競争もなくして
静かに幸せに生きていけたらいいのに」という願いです。

現実を解釈する限り願いとはいつも違っています。
欲を信じて生きていきたい、
傷つき、傷ついてもそれで構わないという人にとっては
ずいぶん迷惑な願いであるだろうからです。

時々自分が現実と違う願いを
持ち続けていることに苦しくなります。
ただ儚い夢を追う者かもしれないと感じるときは
時に無力感を強く持ってしまいます。
そしてなぜか世界から
一人取り残されたように錯覚してしまいます。

今朝、Keiko Leeのカバーで
"Imagine"を聴きながら、
"You may say 'I'm a dreamer',
but I'm not the only one"という言葉が流れてきました。

世界のどこにいるかは分からないけれど、
この世界でこう願う仲間が必ずいる、という一言は
内なる自分のもっとも深い部分を満たします。

世界の争いを争いの衝突によって消滅させるのではなく、
争い自体を
「自らも争わずに、そして自らも苦しまずに」
消滅させたいのです。

http://www/sitesakamoto.com/wtc911/20010926-j.html

成果主義、生産性の増加、拡大再生産、
声高に叫ばれる競争原理はいったい誰のためなのか、
社会は「あなたのため」だと言っているようですが、
それは本当なのでしょうか?

積み上げられた技術の成果として作られた
「仕事をする」機械や計算機の山、
空を飛ぶ銀の翼や地を駆ける鉄の馬、
それらは心あるものが使えば人の役に立ち、
心無いものが使えば人の存在を追い込みます。

大人は子供に戻ることはできない、
つまり力のない存在、権利のない存在へと
戻ることはできません。
どうか、自らの今を自ら自身の心で満たせますように。

http://www.sitesakamoto.com/wtc911/debrisofprayer/index.html

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