ある日、月まで燃料の石を拾いに
所を出る直前に携帯電話を水に濡らしてしまい、
携帯を持たないままJRと新幹線に乗りました。
JRのホームに設置してあった公衆電話は
硬貨ではなくテレホンカードでしかかけられないタイプのもので、
10年ぐらい時間が逆戻りしたような生活をしています。
がん細胞の研究をするグループの人と
最近良く話す機会を持ちます。
たんぱく質は「機能」を持つにもかかわらず
それ自身は生物ではない、という話題があって、
「生物」の定義を「自己複製」というものに当てはめていることで
この問いを考え続けています。
機械に原子力の心臓を積み、
自らに工作機械を搭載して
自らとまったく同じ機能の機械を作れるようにしたら
それは生命と呼ぶのだろうかとふと思います。
これほど飛躍した話ではなくても、
街は確実に生き物としての性質を持っています。
新しい街には以前の街からの「文化」が引き継がれ、
経済、インフラ、行政の機能を分割して
それぞれがある程度自立したシステムとなるのだから
十分「生物」の定義に当てはまっています。
それより大きな単位になると
「生命」に類似したシステムを見つけるのは難しくなります。
地球を二つに分けたとしても、
それは小さくなってしまうので
正確には地球はそれ自体が生命としての定義を
持ち得ないことになります。
システムを繰り返すという点では
超新星の単位まで視点を広げる必要があります。
もし「地球を複製する」というプロジェクトが始まったら、
それはわたしたちが「生命」と呼ぶシステムになるはずで、
地球の質量を減らしてはいけないような気がするので
たきぎ拾いに出かけていたように
隣の星まで燃料の石を集めに行くことになると思います。
人はいつか太陽系を再編成できるのだろうかと考え、
そのとき地球自身があたらしい生命単位になるのだろうと思います。