脳にはいくつもの口があって
夜明け前に24時間開いているマクドナルドに行ったら、
3分ほど待って熱々のハンバーガーとナゲットが出てきました。
混んでいないマクドナルドはおいしいのかもしれません。
話すことの効用について考えます。
人はどうやら表現したい生き物なのだと
すがのたいぞうさんの本には書いてあって、
表現と脳のつながりについて考えます。
表現の最たるものは「話すこと」で、
話をして思っていることを言いたいのだけれど
利害を多く含む昼間の世界の誰にもそれを打ち明けられない、と言っては
夜の盛り場で滔々と自説を展開する、
それで成り立つ世界があるというのだから
話すことは人の根源的な欲求のようです。
人は自由に話すという表現をし、
それを「自由」だと呼んでいるのですが、
今朝がたふと、それは「自由にする=制約条件を外す」ことではなくて、
「自分を確定していく=不自由にする」ことではないかと
気がつきました。
人は話していないとき、
その心の中ではさまざまな言葉が乱れ飛んでいるように思います。
心の声は物事を知るにつれて大きくなり、
この世界自体がそうであるように心の声自身も
また百家争鳴です。
エネルギーの場の中から粒子に対して反粒子が存在し、
二つは生成と消滅を繰り返すように、
言葉はそれと対を成す言葉と生成消滅を繰り返します。
脳にはすでにたくさんの人が住んでいて、
それは物語の登場人物だったり、実在の人の記憶だったりして、
その印象がそれぞれ好き勝手なことを話し始めます。
しかし自分が何かの言葉を実際の口に出しているとき、
それらの声は聞こえなくなります。
いかなる形でもかまわないのですが、
声に出すと落ち着くということは確実にあって、
それは「自由の多すぎる」脳を「体で制約する」ことであり、
膨大な経典の知恵の中から即効性のある「落ち着き」を得る方法として
ただ一つの念仏の言葉を唱えればいいのではないかと
たとえば法然は思ったように考えます。
それは巨大な連立方程式を解く場合に似ていて、
仮に何らかの初期値をたくさん与えておくと
階数が減って非常に解きやすくなることに似ています。
人の体は空も飛べない不自由さに行き詰って
空を飛ぶ機械を発明したがり、
しかし人の脳はあまりに多すぎる自由度に参ってしまって
その言葉を纏めてしまいたいと思っています。
進化論では進化の系譜という図があって、
哺乳類の先に人間があるのですが、
同じ進化度を達したとされているのが鳥類で、
体の自由度と脳の不自由さのバランスを考えると
人間ではなく鳥が
最も成功した進化の形なのかもしれません。
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