木曜日, 6月 14, 2007

「捨てる」権利を「求める」


カロリーのないコーラ分野でペプシとコカコーラが頑張っているのだそうで、
黒いラベルのコーラを見つけた自販機のそばに
花が咲いていました。
情報の保存についての研究があって、
それは情報を保存したり圧縮したりする場合に
「可逆」と「非可逆」の特徴を取り扱うことでもあります。
情報圧縮は何も遠い世界の話ではなく、
jpegのような画像の取り扱い、mp3のような音楽の取り扱いで
頻繁に現れます。
jpegやmp3について言えば、
原画や原音を「完全には」再現しない、
つまり情報を一部切り捨ててしまうことと引き換えに、
可逆圧縮では得られない「高い圧縮率」を実現します。
その効果は再現させる画像の特徴にもよりますが、
感覚としては概ね10%程の情報切捨てで10倍の圧縮ができます。
人が何らかの数学的理論を思いつくということは
脳自体にその機能が実現できるからでもあります。
人は何かを「選んでいる」といい、
それは自分が一つ一つ積み増ししているような感触を持ちますが、
おそらく脳が行っていることは砂金とりの様なもので、
大量に砂を集めてきてふるいにかけるようなものであります。
この世界の現象を取り扱う際でも同じことが言えて、
解けない微分方程式を無理に解こうとする際に
解が有効な範囲を限定して線形近似を施し、
解ける形の方程式に変形します。
変形することで初めて、少しだけ未来予測が可能になります。
これは明日の天気がほぼ当たること、
1週間後の天気があてずっぽうの期待値以上にほとんど当たらないことを
表す際の話です。
人の脳はそのネットワーク・マトリクスで
問題を解こうとしていて、
しかし要素が多すぎては解けないので
見方を変えて扱う数字を少なくしたり、
不要な要素を切り捨てて解けるようにしたりします。
だから人が望んでいることは全て、
全体を満足するような「不要なものの切捨て」を行っているのです。
だからわたしとわたしたちが望むものは常に「取得権利」ではなく、
「棄却権利」です。

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