金曜日, 6月 15, 2007

1回性の生き物

電車や自動車に乗るようになってから
天気予報が当たるとか当たらないとか
最近はすこし気にならなくなっています。

天気予報というのはいつでも同じ確率で
当たると当たらないがやってくるのではなく、
気象条件の難易によって命中精度が変わります。

特に気圧の山と谷が入り乱れる頃、
たとえば春先の細雨とか梅雨の入り口などでは
晴と雨の境界線が頻繁に列島を横断するので
「降る」か「降らない」かという問いに
うまく答えることができません。

時間を計る、という作業は
「周期的に発生するイベント」の存在を前提とします。
これは古いところでは太陽の周回や振り子、
燃えている線香や水の入ったたらいで、
それが現代では
セシウム原子核の振動数を計っています。

ラジオを聴き始めました。

CDを聞いていると、CDを買った当初は
ちゃんとCDの音が聞こえるのですが、
しばらくするとCDを歌詞ごと覚えてしまって
自分の記憶とCDの音が混在します。
そうするとCDはうまく聞こえなくなってしまいます。

流れる歌から歌詞がわかる人と、
歌詞は見ないと覚えないという人がいます。

覚えてしまった音は「過去の音」で、
それで「いつも違う音がする」ラジオがいいと
思うようになりました。
その点に到って、
流行りとすたりは人が必ず持っている現象だと
認めなければならなくなります。
そして流行りとすたりは
この世界の全てについて起こるのです。

しかし流行りとすたりはやってくるだけで、
ほとんど同じところを行き来しています。
だから西洋文化と東洋文化の注目度は
大きな時間単位で行き来するし、
服の流行りも数十年で行き来するし、
恋の高まりと落ち着きもまた往復するのです。

生き物だけがエントロピーという名の
乱雑さへの進行を食い止めているのだと
何かの本には書いてありましたが、
そのためには太陽に与えられたエネルギーを使っています。
地球に最も大きな影響を与えているものは太陽である、
これはおそらく検証可能で間違いがない話です。

太陽と地球の距離と軌道はほとんど奇跡的なのだといい、
もし0.1%でも軌道がゆがめば
今のような生命は発生しなかったといわれます。

だからわたしたちは
「見えない神」の子という表現が
見えも触れもしない一向にまとまらぬ要素であるなら、
極めて現実的に「太陽の子」と言うことができます。

太陽についての研究はかなり進んでいて、
数十億年先には太陽が巨大化して
地球はその中に飲み込まれてしまうとも言われています。
地球の資源をいくらつぎ込んだとしても
太陽をゆがめることはできないことはよく分かっていて、
そして「永遠の繁栄」は
「太陽がある限り」と言っておくのが妥当なところです。

表現のなかでは主に天が父で大地が母です。
エネルギーを与えるものと受け取るものがいて
その照り返しのはざまに生き物は成り立っています。

神のようになるという目標は想像ができませんが、
太陽のようになるというなら想像ができます。
それは本来大きくて強烈で、いつもある距離で遠くにいて、
あたたかいものです。

0 件のコメント: