水曜日, 6月 27, 2007

知性の非対称

最近の宇宙論に拠ると、
この銀河系は真球ではなくゆがんでいるといい、
それは宇宙が対称性を持っていないのか、
あるいは観測不能な対称性をもっているのかの
どちらかになります。

宇宙の始まりに非対称がたとえなかったとしても、
高温の宇宙が冷えていく間に統一された力は
その領域によって4つに分かれてしまっています。

仮にそれらの力が統一されたとしても、
多体系の物理は解析的に解くことはできず、
エントロピーがその乱雑さを規定します。

わたしたちは非対称であるこの世界のことと
統一した対称性を求めることについて
可能な限りの理解を深める必要があります。

極めて単純で規則的な微分方程式でさえ
眼に見える現象としてはカオス的になることや、
豊かな実りを授けてくれる自然でさえも
火山や津波や竜巻や地震を引き起こすこと、
晴れと雨が規則的に永遠にやってくることはなくて
それらは偏ってやってくること、
外見は対称であるようでいて
体内のつくり、
臓の位置は非対称であること。

そしてそれらからの演繹で言えば
平和を望む人と争いを望む人は
これからのどんな世界にも必ず存在します。

人間は60兆の細胞からできているのだといい、
時に免疫のフィードバックがおかしくなり、
脳の中ではさまざまな思想が衝突していて、
わたしという人間の中でさえも
調和と争いは日々続いているのです。

世界は「知覚できない何らか」の
バランスをとるようになっていて、
世界に戦争がやまないのはもしかしたら
わたしが平和という偏った状態を望むから
そのバランスをとるために争うのかも知れず、
それでもわたしは全ての人が
その見えない任を果たしていることを見たいと思います。

よく疲れ、時々みっともない思いをし、
風邪を引き、文句を言い、
くだらない思想に翼を与えることがあり、
しかし時に使命にも似たものを感じ、
目的に向かうことがあります。

どうかそれら全てが偏りのない形で認識され、
等身大の人間でいられたら、とよく思うのです。
しかしわたしのあらゆる面が「対称に認識されること」は
この非対称な世界ではとても難しいことかもしれません。

0 件のコメント: