土曜日, 6月 16, 2007

原子力による太陽に対する認識の変化

食べ物の「味」と呼んでいるものは
直接的には主に「香り」のことで、
イチゴ味というときには
主に砂糖とイチゴ香料があれば
最初の良い近似になります。

原子核反応から化学反応とは比べ物にならないほどの
エネルギーが取り出せるという認識は、
どうもその認識自体が
この世界のありようを変えているのではないか、と
ふと考えました。

信仰の形として「太陽信仰」と言うものがあって、
ピラミッドやインカ文明にみられるように
太陽を神として祭る風習は今なお存在します。
しかし日食のメカニズムが理解されていなかった時代と
それが月の軌道のせいだと理解されている時代では
太陽の「感覚的な重み」もまた異なっているように思います。

太陽は物理の観測によって常にある場所にあって、
多少運動に変化が起こるけれど安定な存在だと思われていて、
それで「いつも安定だと思われている」太陽は
当たり前の存在になってしまっています。

わたしたちは「太陽の影響をある程度コントロールする」
と思っていて、
紫外線が有害であるとか夜には電灯がつくとか
太陽の機能を人工的に取捨選択しているつもりになっています。

しかし太陽の光がなければ
もともと地球に生命が発生する可能性はなく、
いくら原子力が発達したところで
この地球の主たる駆動力が太陽であることにも変わりがなく、
人の心に影響を与え続ける「光」の存在もまた
太陽から生まれているものです。

ギリシャ神話では太陽を恐れずにロウの羽で
天へ飛び立とうとした若者の話が出てきて、
わたしたちは無意識に「太陽に近づいている」ような気がします。

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