水曜日, 6月 13, 2007

日本語で神は定義できるか



知り合いから生のふきをもらいました。
前の日に作った角煮の煮汁をベースにして
醤油、ミリンで味を調えて仕上げました。
ふきはほろ苦い程度にあく抜きを調節したので
主観的には大人の味になりました。

「見た」文字を「読む」回路に接続するとき、
日本語は「前後の文節との関係性で読みの音を決める」
というプロセスがあります。
つまり見ると読むの間にネットワーク回路が必要で、
しかもこの「読む」は「ルビを振る」ことによって
「見る」からほとんど完全に独立した操作になります。
一つのものに多義的な定義が存在するというのは
よく言えば幅の広がりという表現になり、
しかし絶対感の欠如というのは
極めることに対して大きな障害になります。

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