火曜日, 6月 14, 2005

ひとまず名前をつけておく

ステンレスを打ち出した食器を見ると
アジアのイメージが強くなります。

砂糖とクリームをたくさん入れてコーヒーを飲みます。

木の文化、磁器の文化があるのに
なぜ[ステンレス]が選択されたかというのが面白いところです。
ちなみに日本では、
金属食器といえばアルミです。

現場でどんなに当たり前だと思うことでもメモを取るのは、
将来の自分が他人のようになってしまうためで、
一人申し送りのような気分がします。

閉じた空間で生産的な仕事をするためには、
外の世界の情報が必要なのです。

土曜日, 6月 11, 2005

数学世界には地図がない

計算機シミュレーションの続きをしています。
計算をするときに、どうしても昔のパソコンの計算能力が気になって
大きくて計算量のあるコードは
できるだけサイズを小さくしようと
自分の中でプレッシャーがかかるのですが、
現代は10年前のの数十倍の能力があるパソコンになってしまっていて、
昔数週間かかった計算が1日で解けます。

ニュースで、
日本人は数学が好きではないという調査結果を見ました。
わたしは研究をしながら、
でも数学は今ひとつ馴染みがありません。
原理的にわかりにくいだけではなく、
大まかに教えてくれないからだと最近考えています。

Mathematicaというパソコンソフトがあって、
これを使うと微分方程式だろうが超関数だろうが
論理的に計算してくれるのです。
これはどういうことかというと、
解き方には機械が分かるほど明確な[筋道]がある、
ということを示しています。

数学を解くときには、
頑張って演繹しなさい、というのが常で、
どうしてもパズル問題のようにしか教えられません。
それで困って教科書を開くと、
難解な定義から始まって読む気になりません。

知らない土地を歩くときに
必要となるのはひと目で分かる地図であって、
知らない土地の人口や民族の成り立ちはそのあとの話です。

知らない言葉を話したいときに
必要となるのは単語が書いた辞書であって、
文法とかはそのあとの話です。

日本の数学は
分かりやすく説明する努力に欠けていると思います。
[公式の証明]を易しくして欲しいのではなくて、
どうすれば答えが得られるかをいち早く知る方法です。
このためには複数の数学分野、
ラプラス変換やグリーン関数、複素関数の
おいしいところだけを横断的に集めて
それらの繋がりを示すことだと思っています。

そこで[微分方程式の地図]を作ってみました。
方程式の形を見たときに
分かっている解き方、便利な解法は
どの変換を経由するかを1ページに纏めています。
不完全ではありますが、
役立つ人がどこかにいるのではないかと思っています。
この地図を元に詳しい文献を当たれば、
たくさんの人が証明した定義にも行きつけます。

もし興味ある方はご連絡下さい。

水曜日, 6月 08, 2005

ジュラルミン色の世界

朝早く目が覚めて、
2杯分ぐらいのカレーを食べました。
夕方までそのまま仕事を続けています。

ロング・アイランド鉄道の電車は
全てジュラルミンの外装でした。

今度の移動はアメリカン航空だったのですが、
やはり機体はジュラルミン色でした。

BNL近くの駅です。

デジカメは日本製のものが世界中を席巻しています。

無駄なことはしない、という考え方で設計されたお陰で、
余計に白く塗装することがないのですが、
地金の色はちょっと冷たい感じがします。

鉄道では時々車内照明が消えます。
おそらくパンタグラフからの給電が時々途絶えているのですが、
誰も気にしません。
さらに鉄道なのに垂直方向に跳ねます。
線路のうねりとか高低差が調節されていないのです。

古い車体は左右にも共振し始めるので、
いつか脱線するんじゃないかと
気が気でなりませんでした。

ふと気がついたことですが、
ティッシュの取り出し口を覆っている
ミシン目は半分だけ開けて、
覆っていたふたの部分はティッシュの箱と
一体にして使っているのは
わたしだけでしょうか。

ふと気がついて、ふたの部分を全部外してみました。
すっきりしました。

呼吸を変えてから焦りがなく調子の良い1週間です。

2005年5月のカレンダーカードを持ち歩くことにしました。

1ヵ月31日全て何があったか思い出せるからです。

見かけで人を判断する

BNL近くのスーパーで買ってきた牛肉で
ステーキを2回作りました。
個人的には焼いてすぐ食べる焼肉が好きで、
近く行くチャンスがないかなと考えています。

たくさん荷物を増やしたくなかったので、
ジャケット一枚、Yシャツ4枚、
パンツ1本、スーツ1着を持って行きました。

シャツは白に細かいチェック、茶、黒、クリーム色でした。
面白かったのは、
着ているシャツの色によって
わたしの「見かけの国籍」が変化することでした。

白にチェックの場合、在米人、
茶と黒の場合、中国人、
クリーム色の場合、日本人
と思われることが多かったように思います。

人を見かけで判断してはいけない、とは
よく聞く台詞ですが、
言葉が互いに通じにくいアメリカでは
見かけ以上にすぐ人を判断する材料を得るのが
とても難しいため、
どうしても見た感じから直感を働かせるしかないようです。

もうひとつ、町を歩いていて思ったことは、
気難しそうな顔をした人が少ないことです。
快活そうな雰囲気を出していることが、
善良なアメリカ市民の証左であるという印象を受けました。
だから、ベンチなどで近くに座ったら、
必ず一言ぐらいは話しかけて笑顔を見せるのです。

人を見かけで判断してはいけない、
これは、大きな迷いの始まりかもしれません。

月曜日, 6月 06, 2005

写真日記

無事戻りました。

会場に展示したオレンジトーンのポスターです。


Best Westernの部屋はベッドが大きくて快適でした。


借りたレンタカーはヒュンダイのソナタでした。


ノックスビルの市街地の町並みです。


BNLに移動したコテージで、親日家の方に借りたという
炊飯ジャーです。


乾燥機は15分25セントでした。


マンハッタンにしょうゆラーメン屋さんがありました。


地震のない国らしい建物です。

金曜日, 6月 03, 2005

代理戦争

フッ素ガスの純度不足が原因だったようで、
F2レーザーは順調に稼動し始めました。
最終日目前で無事任務完了予定です。

私は時折、代理戦争の標的にされていると
感じることがあります。

以前報道のアルバイトをしていたときに、
ロシア語通訳の女性がメンバーでいたのですが、
妙にわたしに攻撃的で中傷的だったので、
一体何が気に入らないのだろうと思ったら、
よく話を聞くと私と同じ年頃の息子さんがいて、
可愛くて仕方がないのだということを聞きました。

その女性は母として、息子のイメージと同化し
わたしにライバル心を向けていたのだと思います。

年が離れている人というのは本来同じ土俵で戦う必要がないので
あまり衝突が起きないのですが、
同じプロジェクトの中に入れられると
年が離れていても衝突してしまうようです。

同じ枠組みの中に存在する難しさを思います。

のびのびとした環境だな、と思うときというのは、
上に制限がないときで、
ボスはすべからく努力して十分余裕のある能力を持っていて、
同じプロジェクトの中にいながら超然としている場合です。

人は状況によって発揮できる能力が変わります。
働きアリを使った実験では、
同じ巣の中に存在している
よく働いているアリと働いていないアリを二つの巣に分けたところ、
それぞれの巣で再びよく働くアリと働かないアリが現れた、という
結果が出ていて興味を持ちました。

この傾向が人間にも当てはまるとしたら、
よく会社で言われている
2:6:2の法則と言うのもうまく説明がつきます。

この結果はもう少し考察することができて、
ある集団ではお世話になっていても、
自分を違う集団に持っていけば役立てる存在になれる可能性が
非常に高くなる、ということです。
逆に、今の自分にどれだけ活動能力があっても、
集団が変わってしまえば全く力を発揮できない可能性もあります。

自分をいくつかの異なる集団に属させ、
その中で力を発揮できるチャンスを増やしていく、というのは
自分の自信を適切に維持するためにも好ましいことだと思います。

木曜日, 6月 02, 2005

本の背表紙

朝起きてどうも息苦しい、
酸素不足かと思って深呼吸を繰り返していたのですが、
どうも過換気気味なようで、
ゆっくりと浅い呼吸をすると楽になります。

本を借りずに買うようになってから、
よく本が読めるようになりました。
部屋の引越しのときになんとなく荷物が少なくて楽だと思ったら、
実は研究室に本棚二つ分の本とレポートが積んであったりして、
次回の引越し準備が来るとしたら
どれだけ時間がかかるだろうかと心配しています。

本を買ってもう一つ良かったことは、
背表紙を眺められることです。
毎日背表紙が見えるところで考え事をしていると、
自然と中身を思い出して手に取ることができます。

2年前に来たアメリカで、
この国では仕事をしないものはとことん仕事をしない、と
聞いていたのですが、
今回その現場を初めて目の当たりにしました。
この国に契約書が必要になる理由は、
日本で契約書を必要とする理由と違うと感じます。

日本とか、おそらくアジアで契約書を作る理由は、
cheat=特に金額や品質を騙すことに対する警戒のような意味合いが強いのですが、
アメリカで契約書を作る理由は、
engage=作業の遂行自体を保証する意味合いが強いことが分かります。

以心伝心なのか、WYSIWYGなのか、
どんな世界モデルを作っても
人間がそれを取り扱うという時点で問題が生じるのですが、
どちらにしてもgood natureな人と付き合いたいものです。

月曜日, 5月 30, 2005

ボランティアの概念

カロリーの多い食事が多いアメリカですが、
不思議と体重は増えず、
よい体調が続いています。
まわりにカロリーが多い食事があることと、
それで体重が増えることは別の話です。

せっかく外国にいるので、
外国らしいことを書いてみようと思います。

セントラルパークで、
彫像のパフォーマンスをしている人がいて、
あまりに動かないのが面白くて、
1ドル置いてきました。

ボランティア、という言葉を日本で聞くと、
なんだか公明正大で、命がけで獲得しなければならない
狭い定義のイメージを連想しがちなのは
わたしだけではないと思います。

しかしたとえば、大道芸人がストリート・ショーをしていて、
応援のために投げ銭をする、というのだって
立派にボランティアだと思うのです。

普通のショーやコンサートは、
見るために必要な対価があらかじめ提示してあって、
積極的に行く、という行動は能動的に感じられても、
見る側はその提示に受動的に応じるという流れを取ります。

何も値段を提示されていないからこそ、
自分自身でその価値を定め、認めてあげて、
自分にできることをする、という自分が判断するプロセスの中に
ボランティアの良さがあると考えています。

ハングリー精神が大切、などといいますが、
その表現には飢えと欲を混同したようなところがあるのではないかと
最近思います。

飢えていても実りの時をじっと待つ人もいるし、
飢えてもいないのに過食して命を落とす人だっています。

公園の中や車通りの多い交差点で、
街中を馬車に乗って移動する結婚式を挙げたカップルを何組か見ました。
その手のパンフレットに見るような、抜けるような青空でもなく、
あちこちで都会の音が響いているのですが、
それでも二人は幸せそうな顔をしていました。

自分で自分自身を満たすことの一面に含まれる
大切さを思います。
全ての人の脳が神経を介して直接つながっていない限り、
幸せについての共通認識など本当はないのです。

喜捨という、悪用される危険が多いけれども大切な概念があります。
自分から何かを進んで手放すことで、
一番楽になるのは自分自身だ、という考え方です。
相手が喜んでくれるから何かをする、
必要であると宣言されているから何かをする、というのも
やはりボランティアと結びつけるのは難しいと感じています。

日本で「自己満足」というと
なぜか殆どの人が喜びません。
もちろん定義の仕方はいろいろあるのですが、
「他者を差し置いて自分だけが満足する」という利己的な満足と、
「誰かの力を借りずに自らを満足させる」という自立的な満足が
混同されているような気がするのです。

人間という字は面白くて、
人と人の間にいるもの、という表現がよくされます。
それなら、人間であることに疲れたら、
人と人の「間に」いるのをやめたらいいと思うのです。

つないでいる両手を離してしまうと心細いから、
片方の手は人とつないでおいて、
もう一つの手は、人間性を見出せない自然とつなげばいいと思います。
人は自然との間の関わりによって
十分満足することができることを知っているはずです。

アインシュタインの本の中には、
動物と仲良くしなさい、そうすればあなたは
何事にもわずらわせられることはないでしょう、という
くだりがあったり、
安藤忠雄の「建築を語る」の本の中では、
旅に出て、自分と向き合わざるを得ない時間を持つことが
大切だというくだりがあったりします。
どれも同じことを言葉を変えて表現しているように感じるのです。

研究所の食堂で研究者と話題にしていたのは、
神の存在や概念だったのですが、
わたしはこれも「人間ではない存在」を
意識する助けになるだろうと思います。

そしてボランティアというのも、
やはり自分を満足させるために行うものだと思います。
ボランティアの目的が決められているからといって、
必ず相手が喜ぶわけではないからです。

ボランティアが行動の対象とするものは
あくまで人であることが多いのですが、
しかし人を通じてその人の背景世界に影響を与える、と
いう見方をすると感覚が平衡に保てます。

たとえ他者にボランティアと名づけられたことをしなくても、
自分自身を機嫌よく保って笑顔で生活してみる、
これだって立派なボランティアです。

MEMORIZERS

自分は昼間に起きているのに日本は夜で、
完全に何の用件も要求も来ない、
もう少し言うと
自分の中からも要求が導き出されない、
一人の1日というものを久しぶりに体感しています。
極めて特殊なことです。

alamalさんがMEMORIZERSというサイトを
立ち上げられました。

MEMORIZEは日記のコミュニティーとしては
とても充実していて、
特にアフィリエイトの概念やブログ商売の思想も
生まれていなかったこともあって、
純粋に自分が書きたいことをWEBの形で表現し、
それを見に来た人たちが自由に意見を交換するような
自由な交流が行われていました。

たとえ一時期であったとしても、
理想郷のような状態が実際に生まれたのは嬉しいことです。

メモライズがLivedoorに吸収されてから、
商売色の強い日記が増えました。
それに違和感を感じている人たちは少なからずいて、
しかしメモライズのような思想を踏襲したサイトは
なかなか探せず、
自らを難民と呼ぶ人たちに多く出会った感じがします。

そこでその交流の動線を活発にしようと
alamalさんが始められたのがMEMORIZERSです。
心から感謝してます。

Web日記は紙に書く日記とずいぶん違います。
紙に書く日記は、
自分が見せる意思がない限り誰にもその内容が知られないのに対し、
Web日記は誰かに読まれる可能性があることを
前提にして書いているところがあります。

alamalさんのように「日記」というより「記事」のような
濃密な取材のもとに書かれる文字を見ると、
お膳立てとタイトルぐらいは考えるけれど
中身はその日任せの自分の日記にも
多面的な情報量を増やしてあげたいなと励まされます。

雨降りとニューヨーカー

2年前にポートランドへ行ったときには
印象が強すぎて頭が焦げ付いてしまいましたが、
今回のロングアイランドでは
自分がどう動けばいいかが分かってきたようで、
馴染みがよい感じがします。
帰国は6月第1日曜日午後です。

寝ても覚めても、大抵何かをずっと考えています。
みんなそうだろうと思っていたら、
以前「そんなことはない」と言われたことを覚えていて、
たまには考えることを意識的に休むようにしています。
いらない心配まで考え出すと疲れてしまうのです。

憧れと現実について思います。
夢は叶ってしまうと面白くないとか言います。
それは本当のようでもあるし、そうでないような気もします。

夢が叶ったことを想像はできても、
実際に叶ってみたときの気持ちというのは
やってみないとわからないものです。
手に入ったものに価値を感じないというのは
まず自分にとって苦しいことだと思います。

何かを成し遂げるには
超人的なハングリー精神が必要で、
現状に満足していたら止まってしまう、などと
プレッシャーをかける人がたくさんいます。

しかし超人的な精神力が必要だとしたら、
殆どの人がそれを成し遂げるのを
諦めてしまうのではないでしょうか。

歴史というものが幸運にも
途切れずに蓄積されているために、
わたしたちにはその蓄積の恩恵を受けることができ、
同時に蓄積を継承するための
作業が伴います。

蓄積量が多くなってきたからこそ、
それを役立てるまでに必要な期間と
情報量も増えてきています。

同時に人の寿命も長くなってきているので、
全体としてはバランスが取れているような気がします。

イタリア建築などは、
古い建物を改修する際の細かい規定があり、
解体する際には再利用できる古い材料を
国が管理する資材倉庫に収めなければならないといいます。

おそらくそれは
日本人的発想ではひどく面倒なことに映るのですが、
受け継いでいく楽しさやその充実感を
現場の人は感じているんだろうなと思います。

わたしが感じる限り、
日本では「受け継ぐ」ことが
面倒になってきているんじゃないかと思うのです。
そして自分が一代だけで何かを成すという事に
あまりにも執着しすぎているような気がします。

何かを受け継ぐことと、新しいものを生み出すことは
知性の力によって
同時に内包されなければならないと思います。

雨が降ってもニューヨークを歩いている人は
ほとんど傘を差しません。
横断歩道も信号無視が当たり前で、
そのおかげで雨が降ると交通が大混乱します。
意外と都市機能がもろいなと思った土曜日でした。

木曜日, 5月 26, 2005

睡眠時間と置き換えられるものがある

朝9時半から二つ目の安全講習と試験でした。
加速器施設の概要は同じなのですが、
法律や規制の名称や用途が全く異なります。
3文字略語や4文字略語をきちんと覚えることが大切です。

ふとしたことで夜中に目が覚め、
そのまま起きて仕事へ向かいました。
昼間はさすがに睡眠不足が感じられますが、
それでも少し昼寝をすれば復帰できます。

眠っている時間は一体何なのかとふと思います。
疲れを取るためには眠ればなおる、と
半ば信じるようにして眠りを必要としてきたのですが、
起きているときに行う行動の中身によっては
眠っているのと同じように疲れを取る方法があることが
少し分かってきました。

入念に体をマッサージするのはその一つです。
体が柔らかくなると自然と気持ちも緩みます。
脳は海馬以外は消耗しないので、
この方法で脳全体をリフレッシュすることができます。

自分が本当に好きなことをするのも
眠っているのと同じような効果が出ることが分かってきました。
自分の意思で自分を動かしているという認識がうまくできれば、
作業は心地よい肉体疲労のようにして現れます。

脳には自分の理解を超えた何かがあるかもしれない、
最近はそう思うだけでちょっと楽しいのです。

水曜日, 5月 25, 2005

広い池で小さな金魚が心地よく泳ぐ

週明けから早速"Safety Training"漬けです。
研究所で研究活動をする際に生じる電力機器の取り扱いや
放射線区域への立ち入り、レーザー装置のセットアップなどに必要な
安全講習を受講しています。
講義の終わりには4択式のテストがあり、80%以上の正答率が必要です。

こちらに来ると、人と話をするのに
舞台の上で話をするように声を張る必要があります。
体力は要りますが、なかなか気持ちのよいものです。

意識の領域と実際の世界とは本当は違うものですが、
形のない「意識」に対して
広いとか狭いとか開かれているとか閉じているとかいう
空間的な表現を当てはめるのは
改めて考えるとちょっと不思議です。

信念と思い込みの違いについてふと思います。
意識の中で強く認識されたものが
どのような外乱を受けても変更を受けない、ということは
信念も思い込みも同じです。

なんとなく感じるのは、
信念とは正しいことに対する思い込みだということであり、
信念というものは否定的な意味をあまり帯びていません。

信念も思い込みも、
多くはその区別を付けるのが周りの人であったりします。

自分では信念として信じていることがある、
しかしそれは周りから思い込みだと言われる、
こういう場面によく出くわします。

傍目八目、といって、
客観的に見ているほうが冷静な判断をできることは
確かにあるものです。
でも傍目の人は自分で勝負をしていない人です。
傍目の人の評価がいくら正しかったとしても、
自分が勝負の舞台に立たないようではありがたさも半分です。

やんわりとした囁きかけで、不安や恐怖を使い
勝負をせずに毒を盛る人たちがいます。
自分はそういう人間が大嫌いです。

全てのことに立ち向かう、などと
大きなことはできませんが、
しかしできる限り他力を使わず自分自身というもので
勝負していきたいなと思います。
それで仮に負けたとしても、
自分で選択したことなら納得できるからです。

金曜日, 5月 20, 2005

三者三様の物語

神経質になった胃にはオレンジがいいようで、
スーパーで3個2ドルのネーブルを買ってきました。
皮は手でむけるほどやわらかく、
甘みも十分でいくらでも食べられそうです。

金曜日はもう企業のブースなんかも撤退していて、
比較的静かな会議場です。

頭が煮えていた時期はいくらか過ぎ、
日本にいるときに近い気持ちで日々を過ごしています。

何かの読み物で、
アメリカではガイド線に沿って車を止めることなんて
ほとんどない、とあったのを覚えていますが、
シカゴもテネシーも、狭い駐車場で
整然と車が並んでいます。

アメリカ人がノートパソコンを使っていると、
その殆どの人は両手でブラインドタッチなどしていなく、
人差し指で不器用にデータを打ち込んでいるのを見ます。
研究の出来・不出来とブラインドタッチの間には
あまり相関がないようです。

ホテルはサービスのよいところだったようで、
朝からスコーン、焼きたてのワッフル、ベーグル、
スクランブルエッグなんかが自由に選べます。

高速道路では標識があって、
車線変更の図が載っているのですが、
よく見ると車線の数とか分岐の方向とか
正確に描かれています。

今日は連休に行った結婚式の話です。

3人に共通するのは、
自分の生まれた土地に就職し、
その土地で結婚相手を見つけたことです。

年月を重ねるごとに生まれた土地が懐かしくなるのだと
誰かが言っていたのを思い出します。
わたしは小さいころに自分の故郷には留まらないことを
どこかで意識していたので、
自分が故郷に戻るとあまり居場所がありません。

3人は出会いのストーリーも違い、
付き合っていた時間も違い、
それゆえ結婚式のイメージも違います。

結婚の前には、
自分だけの恋愛という物語が必要なのではないかと
最近思います。

その恋愛は、別に相手が芸能人とかである必要はなく、
年の差も状況も身分も関係なく、
人数の多さなどどうでもよく、
それが叶ったかどうかも問題ではなく、
体の関係があったかどうかもどうでもよく、
それで幸せな気分であったかどうかさえ問われることはなく、
ただ自分が自分自身の抑えがたい意思で
ある人を好きになってしまう力があることを認識でき、
それに向かって一生懸命努力した記憶と、
それによって自分のコントロールがひどく難しくなることが
よく分かっていればいいと思います。

恋愛について、まるで近くのレストランに行けるように
気軽に話題に上りますが、
もしかしたら、恋愛というものは
誰にでも出来るものではないのではないか、と
感じることがあります。
自分の中に生じた気持ちを信じて、それだけを頼りにして
人と向き合い、気持ちを伝えていくことは
とても勇気がいる話です。

素敵なドラマは人が集まっていれば起こるのではなく、
自分でそれを企画して初めてその可能性が現れます。
「明日があるさ」という歌は、
片思いはしているけれどなかなか最初の一歩が踏み出せない、
そんな人の気持ちをよく表しているように思います。

人を上手に好きになることは難しい、
だからそれは素敵なのかもしれません。

木曜日, 5月 19, 2005

B型人間に学べ

食事で取れるのはほとんど肉とポテトばかりで、
どうも胃の調子が優れなくなります。
小さいころからキャベツの千切りが好きで、
キャベツは胃薬として使われているのを
知ったのは最近の話です。
スーパーでキャベツを一玉買ってきて、
手でちぎって食べています。

日本人の2割ほどの血液型がB型なんだそうですが、
所内にはB型の人が5割ほどもいる、という話があって、
どうやらそれは本当らしいのです。

試しに近くの知り合いに話を聞くと、
確かにB型がとても多く存在していました。

B型の人はある種の共通感覚を持っているようで、
それはわが道を行くという性格が
自分にあることを認識しているのです。

最近性格として思っていることは、
人間の性格には、血液型に関連した要素、
「こういう性格だ」と周りに言われてそれを認識する要素、
血液型に関係なく存在する個性の要素が
バランスしてできているのではないかと思っています。

わたしはA型ですが、
いろいろなことが気になる割にはおおざっぱだと
自己評価しています。

B型の人、というのは恐らく語弊になるので、
ちゃんと表現すると、我が道を行っている人は
わたしにとっては付き合いやすい存在だと思います。

研究をしていて思います。
自分の世界に閉じこもることはよくありませんが、
自分の世界を持つことは必要です。
名誉欲に振り回される人というのは
他者からの承認を必要とする、という意味と同じだからです。

名誉というもの自体を行動動機にするか、
名誉というものは後からついてくるものと考えるか、
この違いはずいぶん大きなものです。

人はみな違っていて、しかし何かを共有したがっていて、
その中で自分を他者とは違う良いものとして認めて欲しいと思っている
ちょっとややこしい存在のようです。
自分の世界を作り、その中できちんと満足するというのは
とても大切なことではないかと思います。

認めて欲しい、と思う人の行動動機というのは、
悪く作用してしまうと
自分を認めさせて特別に扱ってもらおうとする
ねじれた欲望になりかねません。

アメリカ式のビジネスは特にこの傾向が強く、
「みんなが知っている」「みんなが注目している」というので
大量に売れて大儲けして勝ち抜けることを
性急に考えがちであるように思います。

ヨーロッパ式のビジネスは土地がつながった世界で
長く付き合いをしなければならないことを良く知っているからなのか
提案の仕方はもう少し堅調です。
しかしその分、表面に出てこない交渉ごとなんかが
裏で渦巻いていたりもします。

落合信彦さんという作家の人がいて、
アメリカで体を張って取材したことを記事にしていたりして、
それそのものは面白いのですが、
アメリカ式のやり方を信奉しているからなのか
どうも売り方が野蛮な感じがしていて
わたしは好きになれません。

他者からの承認を得ようと努力しながら、
しかしそのことに振り回されないような自分、というものを
B型性格の人から学んでみたいと思います。

火曜日, 5月 17, 2005

写真が貼れません

夜中起きて書類書きをしています。
一般には地球の東に向かって移動すると
時差ぼけが辛くなるという話を聞いているのですが、
日本を出る前の生活で夜遅くまで起きていたので、
日本で時差ぼけが起きていたのだろうと考えています。

デジカメを尼崎に忘れてきたので、
クリエで写真を撮ったところまではいいのですが、
所内のネットワークにファイルを送れなくて、
写真が貼れません。

プログラムを手にとって、会議の中で聞きたい項目を絞ります。
2年前に、初めて会議に来たときには
どのテーマも重要そうで、知らないことばかりで、
複数のブースで並列に会議をすると
聞けないテーマが現れてくるわけで、
会議を組織した人は一体何を考えているのだろうと
しばらく思っていました。

会議に何回か参加していくうちに、
それぞれの研究所が現在目標としている事が明らかになり、
技術の進捗を前年と比較できるようになって、
自分が聞きたいテーマが選べるようになってきました。

この会議、一種のスーパーかデパートのようなものです。
たくさんブースがあっても、そのときの自分に必要なものは
限られているから成り立つのです。
日替わりで面白い商品が出てきたりするので、
それを目当てに押しかけます。

最初は知らない人だらけの会場も、
だんだんと知り合いになってくれた方が増えてきて、
話も弾むようになってきます。
時々情報交換をしていれば、本当に必要なことは
最初の1分ぐらいの会話で通じてしまいます。

メールでの会話と、
実際にあって話すことでは
引き出せる情報の量が全く違うことによく驚きます。
たかが数分の話をするために外国に行っているのかと思うと
なんとも効率が悪いなとも感じることが以前はありました。

しかし、本当は隠し持っている秘密とか、困っていることなんかは
会話の「ある一言」の中や表情の中に埋め込まれていて、
そして会話は質問と答えでできているので、
考えて体裁を整えられるメールや、本人が目の前にいない
テレビ電話とは緊張感が全く違います。

困ったときの相談には会って話をするしかないのではないだろうか、
と最近思います。
次点は恐らく電話です。

でもメールのほうがいいこともあります。
カンフル剤の注射のような会話と違って、
文字は漢方薬のように長く効くからです。

月曜日, 5月 16, 2005

自分がマイノリティーになることを、受け入れられるか

疲れているせいで判断力は鈍り、
ここ数日危なっかしいことばかりです。

テネシーへ出張してきました。
今日は集中力がほとんどなく、
右車線の運転に慣れているはずもなく、
うっかり交差点を飛び出して合流したら
車をぶつけそうになり、
運悪く通りがかったパトカーに捕まってしまいました。

ボスの写真を持ってきました。
最初は大丈夫だと思っていたのに、
時間が経つにつれてさみしさのようなものと
満たされない気持ちのようなものが訪れてきます。

この国に来ると、日本にはない孤独感を感じます。
それは言葉が通じないということではなく、
この国にとって自分が少数派であることからくるものであり、
この国は表面では個人以上の付き合いがないからです。

勝ち組という言葉があり、とても流行っていて、
まだまだ使われています。

勝ち組について時々考えます。
勝つか負けるか、というのは、スポーツなどでは分かりますが
人生にとって勝つか負けるかというのは
主観以上にはよく分からないものです。
錦を着て憂う人あり、という言葉がそれを良く示しています。

勝つのが個人ではなくて
「集団」というところも気になります。

「集団」としたのは、多くの人がいい思いをするように、と
心がけた言葉のようでいて、
自分だけ勝ってしまっては「少数派」になることを恐れている
言葉ではないかと思っています。

勝ちの組と負けの組、
試合が一度しかなければその数は同数います。
そして、トーナメントになれば
一つの勝ち組以外はみんな負けてしまうのです。

「勝ち組」と言っているときには、
なぜか「勝っている人の数」が圧倒的に多いようなイメージを
持たせているような気がします。
それは「仲良し」「仲間はずれ」とどう違うのか説明がつきません。

心の底では、日本人は「勝つこと」の意味が
あまり分かりたくないのではないかと思っています。
勝ちと負けというのは、本来は状態をはっきりさせるための言葉で、
勝ったほうも負けたほうも
個別の事象に区切られた少数派になることを覚悟しなければなりません。

全てではありませんが、
自分と親しいと思う人たちは、
自分が少数派であることを少なからず意識し、
それに難しさや抵抗を感じながらも
少数派である状態を受け入れている気がします。

一匹狼的なところがありますが、
その人らしさ、というものを
その人自身が認識していることに対して
強い共感を覚えるのです。

ボスはぞろぞろと連れ立って歩くのを嫌う人でした。
そんな姿にみんなが憧れたのは、
自分というものを持っている彼に惹かれたからだと思います。

みんな仲良し、ができるということは
社会生活では「協調性」として認識されており、
特に「協調性」という言葉は悪い意味を帯びていないようです。

しかし「協調性」というのは「雰囲気に合わせる」ということで、
芯になるものが決まらない限り、
どんなものでも「周りに従えば」協調性があると言われると
どこかで信じられていないでしょうか。

アメリカでよく言われる「自由な雰囲気」というのは、
個人として人を取り扱うからだ、ということと同じくらい、
住んでいないからだと思うこともあります。
住んでいても永住権がなかったりします。
代わりにこの国に生まれ育った人は、必ず近所やいろいろな人から
「協調性」を必要とされているのではないかとも思います。

この国ではありませんが、「ブリジット・ジョーンズの日記」でも
年に一度のホームパーティーが「義理の付き合いだ」と言っています。
この国であれば、仲間はずれにされたくなくて
麻薬に走ったり、年上の異性と早く関係を持ちたがったりしていて、
マイノリティーであることには強い不安を持っているのです。

しかし「人が集まることの中にある心地よさ」というものは
確かにあります。
人はどこかで
「一人では生きていけないかもしれない」
と思っているのであって、
社会生活の中では有形無形の協力が必要になってしまっていて、
たくさんの人に認めてもらえるほうが生きやすいのです。

しかし「生きていく」ということと
「自分を持つ」ことは本来は別のことのはずであって、
マイノリティーになったら、それはそれで生きていくのです。

少数派は、たくさんの人には認めてもらえないかもしれませんが、
非常に好きになってもらえる可能性を持っているのであって、
それで何も文句ないじゃないか、と思うのです。

木曜日, 5月 12, 2005

すこしまじめに、死生観について

夕ご飯にカツとから揚げを頼んだら
ちょっと多すぎました。
缶コーヒーばかり飲んでいます。

自分の中で最も、という事は1つしかないものです。

「最も」尊敬するボスが亡くなられました。
病気によって、というよりは
体力が持たなかったのかもしれません。

一ヶ月ほど前からお見舞いに行っていました。
心配でお見舞いに毎日押しかけている、というのは
まるでお別れの準備をしているみたいに感じるのが嫌だったので
時折顔を見に行くよう努めるのが精一杯でした。

この1ヶ月、仕事を続ける理由について、自分の生き方について
毎日のように自問してきました。

研究をするものは「ライフワーク」と言って、
ひとつの研究分野に自分の研究人生を賭けているところがあります。
それが好きでもあるし、大切でもあるし、
しかし先が読めない仕事として辛いところもある、
そんな気持ちを混合したようなところで
ルーチンワークには生涯ならないようなことをしています。

わたしが研究所へやってきた3年前の5月にも
尊敬する研究者が若くして亡くなりました。
あの時は何もしてやれない自分が情けなく、
悔やみながら日々を過ごしてきました。
だから余計に、今のボスの元での仕事は
できるものは何でもやろう、と思ってきました。

ボスが別のプロジェクトに駆り出され、
見よう見まねで今の研究を引き継ぎ始めて1年半になります。
駆り出された先は時限付きのプロジェクトだったので、
3年から5年すれば戻ってくる、
だからそれまでは持たせていかなければ、と思っていました。

わたしはもともとそんなに決心が強いほうではありません。
弱音を吐いたことが何度もあり、
自分が情けない日が何日もあり、
途中で投げたくなることが何度もありました。
誰でもそうなんだよ、と励ましてくれる人もいてくれるのですが、
自分の無力さは自分が一番良く理解しているものです。

それでもこの世界にしがみついていられたのは、
ボスが戻ってくることを心から待ち焦がれていたから、というのが
大きな理由のひとつになっています。

亡くなってしまったら自分は涙を流し、
辛い気持ちを抱えたまま毎日を過ごしていくのだろうか、と
思ってきたのですが、
その日が来ても泣くことはありませんでした。

生きた人の痛みや辛さを思って涙を流すことはその人にも通じますが、
亡くなってしまった人そのものに直接してあげられることは
本当はもうひとつもないのです。

人に報いることは、
病の床で旅立つことを見守ることよりも、
生きている間にその人の願いを叶える努力をすることでありたいと
思います。

このまま終わっては悔しいじゃないか、と
ボスと話した一言が頭に焼き付いていて、
今はただ仕事を前へ進める以外のことが思いつきそうになく、
こうしてマシンに向かっています。

生の終わりには本来生の終わり以外の意味はなく、
それ以外の意味を考えようとするのは残された者たちなのですが、
わたしにはそのボスが生きようとしていた生き方と
これからどう付き合っていこうかと考えています。

わたしにはボスを生き返らせることなどできない存在です。
たくさんの人に慕われ、愛されたボスだったので、
わたしの思いもその中のほんの少しなんだろう、と思います。

でも彼の生き方にわたしが習い、
彼が好きだったものを共に好きでい続けることで
わたしには彼にできることが
まだほんの少しでも残されていないだろうか、と
こんなことが頭に浮かびます。

わたしには今までどおり毎日を
きちんと過ごして行こうと思います。
ボスは、君が向かう方向と発想は間違っていない、
あとは時間と経験が積み重なれば良いだけだ、
と言ってくれていたからです。

彼に地上での形があろうとなかろうと
そんなことはあまり大きな問題ではなく、
わたしにはまだ彼を慕わなければならない時間が
これから先にたくさん残されているのです。

水曜日, 5月 11, 2005

その日

自分の世界は自分の脳が作っている、だから
ボスは今でも生きている、
そんな世界で生き続けます。

月曜日, 5月 09, 2005

Surviver's Guilt

GWに入って2日目の雨です。
実家の居間で布団に入りながら日記を書いています。

最近日記のような実体表現をしないと
自分のことが曖昧になってもやもやする感じがします。
脳とはもともと曖昧なものなのです。

福岡は東京と同じ放送局がテレビで受信されるので、
チャンネル番号だけを読み替えてニュースを見たりします。

読み替えテーブルは、
テレビ朝日は10→1で、
NHK総合は1→3、
NHK教育は3→6、
TBSは6→4、
日本テレビは4→12、
テレビ東京は12→14
です。

毎日列車事故の話で、
今日は事故の後のボーリング大会が取り上げられていて、
司会者のキャスターが怒っていました。

この報道について少し考えてみました。

昔、高速道路の事故を処理するパトロール隊の特集をテレビで見たときに、
パトロール隊の勤務は8時間の3交代制が組まれていて、
しかし事故は起こり続けている、というところを見たときに、
シフトから離れた人は罪の意識に襲われないだろうか、と
思ったことがあります。
自分がいれば救えた命がある、
こういう意識をどう取り扱ったらいいのかわからないのです。

夜回り先生で広く知られている水谷さんは
おそらくこの意識を原理主義的に取り入れてしまった人だと思います。
自分の生活を投げ打って、子供が非行への一歩を
踏み出さないよう尽力されています。
その行動について私情を挟むことはできないのですが、
水谷さんも人の子であるならば、
両親がいて、友達がいるのだろうから、
その人たちのために存在する水谷さんとして生きてあげることも
必要なことだと思って欲しいな、と感じています。

都市化する、ということを思います。
都市生活では、たくさんの人が同じ場所で生きるための
コンセンサスと呼べるものが存在しているのだな、と
街に住んでいて感じました。
たくさんの人がいると、その数だけ衝突数が増えてしまい、
その全てに対して「感情を最大限に尊重しながら」生活すれば
社会生活が成立しなくなってしまいます。
同じ街中、とは言っても、
すべての人が毎日亡くなった方のお悔やみに行くことはできないのです。

街にはたくさんの人が生活するために
高度で複雑な機能が要求され、
その機能が複雑であるほど
人間に要求される仕事量は多くなっていきます。
それをうまく機能させ、かつ人間としての自由を分け合うために、
「時分割」という方法を使っているのだと思います。

時分割には
「仕事としての分割」、という一義的な意味と
「責任としての分割」、という暗黙のうちに受け入れている
意味があります。
仕事中に責任を負い職務を全うする、
しかし仕事でないときにはその責任からは解放されている、
ということを無意識に行っています。
そうでなければ、パトロール隊で仕事をする人は
続けられないと思うのです。

これは遠いアナロジーでは
有限責任の会社の関係に似ています。
有限責任の会社では、利益を法人という「架空の人間」と
共有しなければなりませんが、
起きた損害については、株主は出資金を失うまでで済み、
会社が出した負債の責任についてはその任を負いません。
これは人がどこまで責任を負うか、
ということを明確にしているのです。

しかし無限責任の会社では、出資者は利益のすべてを掌握できる代わりに、
すべての負債について責任を負わなければならないのです。

ボーリング大会に参加した人は
その意識の中で
有限会社のような「責任の時分割」を行ったものと考えられます。
対して、テレビ報道の「職務時間外の行動に対する批判」は
無限会社のような「24時間の職務追及」を求めているものと考えられます。

都会人は二つの意識の中で揺れています。
「職業人」としての自分、「個人」としての自分を
切り替えることが必要なのか、
それとも「職業人」として人生を全うすべきか、
無意識のうちに難しい判断を迫られているのです。

日本で思う、「息苦しさ」のようなものの正体は、
職業を「無限責任」として滅私奉公することを
人に暗黙のうちに要求することにあるのではないかと
思うのです。
責任追及が無限に続くからこそ、
だれも責任を取ることを極端に恐れるのです。
そこに赦しの概念は存在しません。

JR西日本の「社員教育」と称した
ミスをした運転員への上司の陰湿な追求には
「無限に責任を取らせる」ということを
「会社を代表する上司として」要求する、という
光景がみられます。
おそらく、「自分も若い時分には通ってきた道」という
心の中の鬱屈した気持ちが蓄積されていて、
その気持ちを部下にぶつけて開放しています。
そこには「自分は人間である」という意識は薄く、
「自分のなすことは世のため人のためだ」と思い込もうとしています。
「世」と「人」っていったい誰のことなのでしょうか。

ほんとに世のためならば、
まず目の前にいる人を幸せにすることから
始める必要があります。
「世」とは「人」という実体を指すものから外れてはならず、
決して抽象化してはいけないのです。

閉じた世界で生きようとする人たちが、
「感情的な負の遺産」を脈々と継承しているように思います。
経済ベースには乗りませんが、
これも日本で生きていくことで受ける
立派な不良債権の一つです。

人には他人に対して職に殉じることを要求し、
それを社会のたてまえとして共有しているが、
自分はその際限ない要求の中で苦しんでいる、
わたしにはそのように感じられます。
その連鎖から抜け出したいと
多数の人が切実に願う日は来るのでしょうか。

わたしたちが精神的に解放されるためには
いくつかのプロセスが必要です。

まず、社会として生きる人間の行動は
すべて有限責任であることをコンセンサスに持つ必要があります。
そして非常時がおきたときに、
「どこまで責任を取れば」社会的に認めてもらえるかを
みんなが個人的に話し合えば良いと思うのです。
「そんなの理想論だけど、できるわけなんかないよ」と
どうか言わないで欲しいのです。

それは「職業人として」生きていくことと同時に、
「一人の人間として」生きていくことを満足するために
必要な措置だと思います。
仕事は人が助け合って生きていくために行う行為であって、
責め苦を負わされる伏魔殿じゃないのです。

そして、こういう事故が起こったときに、
みんなで責任者を感情的に袋叩きにしないことです。
責任者が少しでも「自分にはやむをえない理由があった」とでも言おうものなら、
口裏を合わせたように「生意気言うな」と総攻撃する習慣をやめることです。

社会生活では、自分が「野次馬」であると思わないことが
必要です。
次に非難の矢面に立たされ、
日本人のコンセンサスで作られた同じシステムでもがき苦しむのは
あなた自身かもしれない、ということを
よく認識して欲しいと思います。