金曜日, 4月 29, 2005

将棋を習っておけばよかった

三宮へは何度か来たことがあって、
それなりに道を知っているはずだったのですが、
夜行バスを降りると知らないような景色が広がっていて、
しかしそれは三宮の駅前、という
場面に出会いました。

自分の中で「背圧の処理」と名づけているものがあります。
それは「後片付け」のようなものなのですが、
すこし持たせたい意味が異なります。

私は部屋の中のガラクタを捨てることには
慣れてきましたが、
物事に区切りをつけるのが苦手です。

さて、時間を測定可能にするものというのは。
時間によってあるものの状態が変化し、
しかる時間の後ある状態へと戻るもの、と
決まっています。

区切りとは小さなサイクルの終わりの部分を
意識することから始まります。

最近で出た日本のポップスを聴いていて思うのは、
フェードアウトで終わる曲が少なくなったなと
感じることです。
ちゃんとピアノの和音で閉じていたりします。

フェードアウトはその曲がいつまでも
残ってしまうような感じがあって、
それを狙って意識的にフェードアウトをさせるのはよいのですが、
落としどころに迷ってフェードアウトさせた曲は
なんだかもやもやした感触が残ります。

バブルが終わったことは、
人に終わりを意識させるようになったのでしょうか。

定年以前の退職も、夫婦の離婚も、
ある意味では「終わりがない」と意識されるようなものに対して
終わりを設けたものだと思います。

なんでも終わればいいというものではないのですが、
人は自分の命が終わって
何もかもわからなくなってしまう前に、
人が取り扱う物事には終わりがあり、
そのための準備は
特別に用意しなければならない、
ということを学ぶことで
心の落ち着きが得られると感じています。

小田和正の「風の坂道」という曲の中に、
この時が永遠に続いて欲しいと願うときに
人生には終わりがあると感じた、という感じの
くだりがあります。
終わりがあると意識するのは後ろ向きな意味ではなく、
そういう風にしかできていないこの世界の事実を
逃げずに受け止めることでありたいと思います。

人としての終わり、この世界としての永遠、
それは矛盾するものではないはずです。

将棋を習っておけばよかったと思います。
ある程度の許容できる犠牲の見積もりの元で
大局的に決着をつけて終わる、ということの
ヒントがありそうな気がするからです。

水曜日, 4月 27, 2005

開かない瓶のふたは温めて

パソコンで原稿を書いていると、
どうもしっくり来ない文章が出てきて、
「せっかく時間をかけて文字を綴ったんだから」と
メモ帳とかにコピーして残しておくのですが、
後になってみるとしっくり来ない文章は
やっぱりしっくり来なくて使えないことが多いです。

明日からは出かけるため、
気が向いたらネットカフェで日記を更新します。

火曜日, 4月 26, 2005

それは良く触れるものだから

天気の良い散歩道です。


大人になる楽しさは、
景色のよさや雰囲気のよさが自分の中でより重要になってきて、
天気の良い公園だったら
おにぎり1個でとても楽しめてしまうところかな、と思います。

大きな努力ではありませんが、
最近毎日パソコンの壁紙を変えています。
青や緑などの冷たい色合いが好きだったのですが、
緊張しすぎるので最近は赤っぽいデザインを選んでいます。

これも大きな努力ではありませんが、
1日1杯位はとても熱い飲み物を飲むようにもしています。
なんとなく気分がいいのです。

今の自分の目標は、
「空回りしないように自分を使う」ことで、
脳をゆっくり起こしてやることを意識しています。

月曜日, 4月 25, 2005

夢の見方

日曜日は横浜まで足を伸ばしました。

天気が良く日焼け気味です。

大人がちゃんと夢を見るのはなかなか難しい話だと
時々思います。

アニメを気楽に見られるのは、それがどんなに込み入った話でも
「現実とは関係ない」ということで済ませられるからです。
現実との接点がない夢は、空回りしているエンジンと同じで、
いくら回転数が上がっていても車が前へ進みません。

大人の夢と子供の夢が異なるように感じられるのは、
大人の夢はどこかに「叶える」ことを前提にし、
「時間の制約」を設けるからだろうと
思っています。
叶わない夢では世の中の実質的な役に立たないし、
実現に200年かかる夢は一人では見られないからです。

大人が正しく夢を見ようと思う場合、
夢に至る経路を選ぶ必要があると思っています。
道端に花が咲くなだらかな丘ばかりの道はないかもしれませんが、
無理して急な崖ばかり選んでいては登れません。

夢に至る経路の途中に存在するものも重要です。
夢という結果に至るまでには、
一休みする木陰も必要だし、
喉の渇きを癒す水も必要です。

夢が遠ければ遠いほど、
過程を楽しむことが必要になってきます。
夢が叶うことだけが楽しみであれば、
過程の途中でやめたくなったときに
耐えられないと思うからです。

夢への距離が遠くなっているな、と
最近思うことがあります。
世界地図がなかった頃には、誰もが海の向こうを眺めるだけで
未知の世界を簡単に、見えるものとして想像できたのです。
未知の世界は科学が明らかにしてしまったと
「言われている」ことが多過ぎて
何が未知なのかさえ分からなくなっています。

どんなことを想像しても、もう既にありそうな気がする、
しかし突拍子もないことをちらりと想像してみると
そんなことはまったく実現不可能な気がする、という
両極端な世界の真ん中にいるような気がします。

それでも、夢を見続けることは良いことだと思います。
こどもが見る夢は大抵子供の頃だけでは叶いませんが、
大人が見た夢には叶うかもしれないという期待があるのです。

日曜日, 4月 24, 2005

みんなが非凡な人生を歩き始めたら

お土産で買ったネガを取り込んでみました。

気持ちを落ち着けて考えると、
自分がそこにいた、ということは本当は夢だったんじゃないかと
感じることさえあります。
春はなんとなく心もとなく、
小さな風にも心が揺れてしまいそうな季節です。

この間人と話していたことが
そういえば自分の中で何度目かの話題だ、と思い立って
今日の日記の話題にします。

平均、とか人並み、という言葉を
自分に当てはめるかどうか、ということを
よく思い返します。

平均とは統計という、ある同一条件を保証した系で起こる
多数の現象を集め、その傾向を抽出する作業のひとつです。
個々の現象はその「確率分布」に従ってランダムにおこる、というのが
前提となる話です。
平均とは一番簡単な統計の形であり、
もっと踏み込めば平均からの広がりがどれほどかということを
調べる必要があります。

例えば駄菓子屋さんでお菓子の値段を調べると、
平均は500円で、商品の値幅は1000円ぐらいだから、
それほど広がりがないのですが、
車やさんで車の値段を調べると、
平均は200万円でも商品の値幅が5000万円とかだったりして、
とても大きな広がりがあります。

考えの元となっている条件が変われば、
確かに確率分布は変わります。
しかしそれでも、個々の現象は「ランダムに起こる」ことには
変わりがないのです。

もしかしたら現代科学の認識には
繋ぎ方を間違った部分があるかもしれません。
それを明らかにするには
ニュートン力学と統計を混ぜてしまった、という
説明の切り口が面白いと思います。

養老さんの本の一説に
「こうすれば、ああなる」で済むものではない、という
言葉があります。
こうすればああなる、という考え方の基本は
ニュートン力学に端を発しています。

初期条件と系の方程式が決定された場合、
それ以降の時間における系の運動は完全に予測できる、というのが
大雑把なニュートン力学の利点です。

完全な予測ができるからこそ、
ロケットは宇宙まで行けたわけで、
これが「やってみなければわからない」のでは
いつまでたっても宇宙まで行けなかったのです。

そして経済や人の流れを考える際にも
線型方程式を使って取り急ぎその傾向が調べられました。
それが素晴らしく世の中の役に立った所までは良いのですが、
線型方程式こそが「世の中の仕組み」だと錯覚する人が
少なからず現れました。

ニュートン力学の未来予測の完全性と書くことには誤りを含んでいます。
式として予測できるのは線形の方程式、と呼ばれるものだけで、
非線形の方程式は今でもコンピュータに「現象をやらせて」います。
つまり「やってみなければわからない」ことは
最初から存在していたのです。

人間が生まれて生きていく過程を「方程式」のように
捉えてしまう、それ自体は大いにありうることです。
勉強すれば明日の試験の点がよくなる、というのも
ある程度信じられなければやる気になんかなれません。
でも人の生きていく過程は「線形の方程式」ではないのです。

では非線形の方程式には全く手が出ないかというと、
実は近い将来だけは無理やり線形化して知る手段があって、
それは摂動とか変分とかいう名前で呼ばれています。
これらを使えば明日の天気は確実に分かるけれど、
1週間先の天気が分からない、とかいう現象が起こってきます。

ここまでがニュートン力学の誤用についての話です。

統計の誤用については、
自分の身には「平均的な」ことが起こる、と
信じて疑わなくなってしまったことに問題があります。

たとえば結婚年齢の平均値が28歳だというと、
それから早いとか遅いとかを1,2年ぐらいの誤差で埋めようと
必死になっていたりする場面に出会います。

平均には広がりがあるので、
その広がりは10年ぐらいある、とすると
実は1,2年の誤差で埋めることができない人のほうが
多くなってしまいます。
そして「統計の正しさ」とは多数の傾向に対して意味があることであって、
自分ひとりの現象に対しては確率以外の保証がありません。

そして、統計の結果にニュートン力学の線型方程式のような
イメージをかぶせると必ずうまく行かなくなるのです。
科学のミスマッチを起こしたようなものです。

調査方法が正しく、科学の演繹も平均の数字も厳密に正しいのですが、
使い方を決定的に間違えていること、というのが
この例のようにたくさん存在します。

だからといってそれぞれが自分の道を歩め、とは
どこかで言えない部分もあります。
基準になるものが分からなければ不安になりやすいからです。
不安ばかりでは人は生きるのが苦しくなってしまいます。

でも不安に駆られて基準にしがみついて安心を得ようと思うと、
もともと基準に大きな広がりがあった場合、
当てが外れてしまいます。

偶然の出来事=incidentを
悪い事故=accidentと解釈する傾向が
強いのではないか、とも思います。

科学が明らかにしたことをちゃんと汲み取ろうと思うと、
人生は2、3歩先の現象はおよそ良く分かるが、
遠い将来のことは分からず、
平均はある種の比較対照にはなりうるけれども、
それが自分に起こるかどうかは偶然に委ねられる、と
いう表現になるかな、と思います。

科学を誤用しないように使う方法を紹介する、というのも
科学を仕事にする人の大事な仕事ではないかと
考えるようにしています。
それぞれの世界に「餅は餅屋」があり、
存分に助け合っていければそれで十分なのです。

水曜日, 4月 20, 2005

ひと雨ごとにあたたかく

中尊寺です。

梅との対比は歌川広重を意識してみました。

今日はわたしの本嫌いについての話です。

小学校に入るまでは
家にあった百科事典のページをめくるのが楽しみで、
二十数巻ほとんど目を通していましたが、
本がお勉強になってから、一度読書が好きではなくなりました。
読書感想文が苦手だったのです。
まず字を読むことが苦痛でした。
さらに、どんな感慨も湧かなかったのに、
感想を述べよというのも納得が行かない話でした。

その意識は中学校が終わるまで続き、
読書感想文もなくなったので
3年間で3冊しか借りに行きませんでした。

曲がりなりにも本を借りに行く、という習慣ができたのは
高校に入って3年目ぐらいの頃です。
どちらかというと、最初に本を読み始めたのは
格好つけたかったから、という理由だったと思います。
ジャンルは小説と、科学もののみでした。
それ以外は伝記も歴史も経済も哲学も全く読みませんでした。

確かに本を読み始めるきっかけは
純粋な動機ではなかったのですが、
そこは作家の力があって、物語に引き込まれるような
感覚を体験することができたのは幸せでした。

大学に入って、再度本から縁が遠くなりました。
書いてあることが難解なものばかりになってきた、というよりは、
現実世界をなんとかするので精一杯で、
空想の世界へ行くほどの余裕が持てなかったためです。

そんなわけで、
本が好きな時期と、嫌いな時期が大きく分かれています。
わたしは本が好きな人の気持ちも、
本が嫌いな人の気持ちも中途半端に理解しています。

この1、2年ほどは
暇があれば本屋に行って何かを買ってくるような
生活を送っていました。
とにかく何でも良いから読んでみたくなったのです。
小説が一番少なく、新書とビジネス書が一番多い感じです。
ビジネス書は研究と何の関係もなさそうですが、
関係ないからこそ読んでおきたかったのです。

最近小説を読まなかったのには理由があって、
それは小説は意図的に不完全にされた人間が
意図的に事件を起こしている、と
感じられたからです。
まっとうな人間ならそんな常軌を逸したことはしないだろう、というのが
それまでの感想でした。
そして人間はそんなに不完全であってはならず、
理想を求めていかなければならない、とも思っていました。

しかし最近になって、
どこまでか突き詰めると
どうせ人間は不完全じゃないか、という
気持ちが少しずつ増えていきました。
そして自分の理性も欲も、
結局は不完全な結果を導いてしまうことがあるのだ、ということも
徐々に受け入れられるようになりました。
それから小説を読むのが改めて好きになりました。

人間は書き換え可能な知識が非常に多い代わりに、
本能と呼ばれている
自然と一体化するために必要な記憶をほとんど持っておらず、
どうかするとその本能さえも書き換え可能であったりするため、
生まれてから自然と一体化するための努力が必要な
生き物なんだな、と最近感じます。

書き換え可能な知識がどれだけ自然に近づけるかで
その人の自然界での行動範囲が変わってきます。
恋はおそらく本能の一部であり、
それを理性で捉えようとするとおそらく破綻するだろうと
今は思っています。

歴史を良く調べれば、
人生の道筋などというものが示されたことは
過去に一度もないことに気がつくはずです。
大学があろうが、会社があろうが、
年金があろうが、法律があろうが、
それと自分の人生の道筋とはやはり異なっているものだと
時々は思い返したいなと考えています。

火曜日, 4月 19, 2005

文字文化についての動機付け

水前寺清子の「365歩のマーチ」では、
1日1歩、3日で3歩、
3歩進んで2歩下がる、というくだりがありますが、
1日1歩であるならば
この「2歩下がる」は2日かかるのですが、
1日のうちに「3歩進んで2歩下がる」のであれば
やっぱり1日1歩で合っているのかなあ、などと
いろいろ想像をめぐらせている今日この頃です。

リテラシー、ということをふと考えます。
リテラシーとは、literatureの原義である
「文字」が読み書きできること、から派生して
メディア・リテラシーという言葉のように
「何らかの情報を取り扱う技術」という風に拡張解釈されています。

後世に何かを残せる、としたら、
お金とか土地とかいろいろあるんだとは思いますが、
その中で「情報を残す」ということに
今ひとつ関心が薄いように思います。

情報そのものは媒体が変わっても存在し続けるもので、
本がネットに置き換わって進化したとはいっても、
情報そのものがないとどちらもただの入れ物です。

情報そのものが消滅する時は、
情報を含んだ媒体が消滅したときです。
すなわち、情報そのものには延命策があります。

まだまだパソコンソフトのヘルプファイルを
読むのが苦手です。
どこに何が書いてあるかを探すのが面倒なのです。

文章を書いて読んでもらう側になって、
いったい文章にする意味とはなんなのかを考えてきました。
ある人が言うには、
「論文とは自分の名前を載せた勲章みたいなもの」という
表現でした。
しかし名誉のために文章を書くのであれば、
わたしには書く意味がありません。

自分が前に書いてみた拙文が
紀要集に掲載されていたりしますが、
それを読める人であれば、誰でも平等に
その情報を知ることができるようになります。

対して本人が媒体を通じて情報を残していないと、
情報を受け取れるかは本人の恣意的な問題によって
おおきく左右されてしまいます。
これはある意味で不平等さを拡大するものとも
なりかねません。

この意味で、文字にされたものというのは
それに興味を持ち、手に取った人には
何の区別もせず平等に情報を与えることができる
ありがたい道具であることに気がつきます。

つまり自分が知っていることを文字にする、ということは、
大きな目で見ると平等な世界を作るのに役立っている、とも
言えそうなのです。

行動、というものの中に
日本人は言動とは異なる
ある種の聖域感を持つものかも知れないのですが、
文書化、というものは言動とは異なる側面を持つ、ということに
もっと目を向けても良いと思います。

執筆という作業によって世界が平等に近づくという動機付けがあれば、
喜んでその任務を請け負いたいと思います。

やっと決心がつきました

瓶入りファンタを見つけました。

ふと子供の頃を思い出しました。

わたしが加速器を好きになったのは高校生の時です。
光の速さで回る荷電粒子ビームを巨大な装置が加速している、という
少年向けアニメを現実化したような話に心を揺すぶられ、
自分の行く先を決めるきっかけになりました。

尊敬する物理の先生がイオン・ビーム実験をやっていて、
量子力学を勧めてくれたので
大学は原子核物理の分野を目指すことにしました。

大学に入った年の夏に、今の加速器に出会うきっかけを得ました。
それが以前の自分の研究テーマから連想できるものだったので、
加速器研究の誘いがあった時にはもう迷いはありませんでした。

研究を始めた「最初の目標」は、
誰もやったことのない実証実験を成功させることでした。
意識はそれだけに集中し、
他の選択肢がないほど自分を追い詰めてプロジェクトを進めました。

加速器は大きく、一人では装置全体を動かすことができません。
誰かが情報の橋渡しをし、スケジュールを調整する必要がありました。
その調整も自分の仕事として引き受けてみました。

結果として実証実験は成功し、
大きな成果を上げることができました。
5年間の目標を最初に自分に定めたのですから、
この目標は完遂されたのです。

しかし「チームで仕事をする」というわたしなりの目標と、
「研究成果を個人で取り合う」というチームの方針とは
いつもずれがあったように思います。
そのずれこそが、プロジェクトを進める上での
大きな違和感として残り続けていたのです。

暗黙のうちに、成果として残らない仕事を見てみないふりをする、
そういった仕事のやり方が続いていたのです。
チームで仕事をすることがわたしの理想である限り、
見てみぬふりはできなかったのであって、
そして見てみぬふりをしなかったからこそ
プロジェクトは大きく一歩を踏み出したのであって、
その理想は少しも間違っていなかったと確信しています。

しかし「プロジェクト」として立ち行かなくなることを
一人心配することで、研究には
重い鎖が繋がっていきました。
それこそが、わたしが自分自身を振り返る暇を持つことを
自分自身に許せない理由でした。

ある日始めたこのプロジェクトは、
いつしか「加速器」そのものと
同義語で語られるものになっていましたが、
私が好きなのは「加速器」であって、
「このプロジェクト」である必要はないことに
改めて気がつきました。

一度、このプロジェクトを辞めようと決めました。
辞めよう、と思った瞬間に、肩の荷が下りました。
あと1年で引継ぎを完了させ、研究業績をまとめ、
新しい加速器分野に目を向けていこうと思います。

世界に存在し、自分の人生を賭けるに値する「魅力的な研究」は、
別にこのプロジェクトでなくても構わない、と
ようやく言えるようになりました。
それがこのプロジェクトに出会って5年間を実際に賭けてみた
今の結論です。

そういえば、旅する哲学、は
旅の書ではなくて、哲学の書でしたね。

木曜日, 4月 14, 2005

理論物理と実験物理=虚業と実業の関係

加速器実験をしています。
測定器のレイアウトを整えたので、
パルス波形の観測がとても楽になりました。

人は自分が知らないものでも、
知っているものに例えられるとイメージがつかめることがあります。
もちろん例え話だけでは本質はわからないのですが、
本質を伝えようとするあまり難しさを前提にするのでは
やはり伝わらないと思うのです。

物理学には2本の柱があります。
一つは理論物理、そしてもう一つが実験物理です。
世の中で語られるときはこれらの総和としての結果が示されます。

この二つの柱はどちらも必要です。
実験物理の方向性を示すのが理論物理で、
理論物理の正当性を実世界で証明するのが実験物理です。

これは虚業と実業の関係に極めてよく似ていることに
気がつきました。

虚業は資金を特定の産業へと集中させて
その世界を発展させる目論見を示します。
資金の提供を受けた産業はそれによって
製品やサービスなどの実体を創り出し
世界を豊かにしていきます。

虚業の中には、
産業を本当に成長させるための「よい投資者」と
単に短期的な利益を求める「貸金業」が存在します。
どちらも虚業の顔をしていますが、
実世界に与える影響の方向が異なります。

理論物理の世界にも同じことが言えます。
実験物理に明るい展望を開く「よい理論の提唱」と、
単に理論物理学者が名誉を求めるための
「名誉としての理論の提唱」が存在します。

わたしにとって名誉はあまり求める意味がないのですが、
理論物理学者の中には自分の名誉と名を後世に残すことが
人生の目的になっている人がたくさんいるようです。

物理学は人の思想を神の領域へと高めようとし、
工学は神の知識を人の世界へ引きずり降ろそうとする、
というようなくだりをどこかで聞きました。
わたしは工学者なので、沽券ぶった知識を
片っ端から「引きずり降ろす」ことに喜びを覚えます。

火曜日, 4月 12, 2005

どんな言葉もうまく噛みあわないような気がして

実験に使う電子回路を調べ始めました。
最近の電子回路は構成自体に複雑なソフトがついているので、
理解するまでにもずいぶん時間がかかります。
複雑な技術は、時代遅れになる、という危険と
常に隣り合わせの関係にあります。

この1週間、
つとめて明るく振る舞ってみたり、
悲しみを表情に出してみたり、
わざと気丈に振る舞ってみたりしてみたのですが、
どれも「自分の本心」に届きません。
もう「自分の目標である人」を失いたくないのに、
自分にできることがあまりにも少なすぎるからです。

世界はどうなるか分からない、
だから、せめて毎日祈ってみようと思います。

月曜日, 4月 11, 2005

100万馬力の具体的解釈

誤記なのですが、
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091112352553.html
にある「100万馬力の自動車」を見て
思わず笑ってしまいました。
ちなみにこの100万馬力、どれくらいすごいかというと、
およそ4000トンの東京タワーを
5分で地表から120kmの大気圏外へ放り出すことができる出力です。
なお、国産のH-IIロケットは燃料を含めて260トンです。

類例の間違いとしては、
アリスの「君の瞳は1万ボルト」を
「君の瞳は100万ボルト」と言っている人が多いことです。
きっとすごい電圧のイメージが100万ボルトぐらいなのでしょうが、
1万ボルトぐらいでも十分過ぎるほどです。

エアコンは、夏は28度、冬は22度の謎

のしいか屋さんを初めて見ました。

焼きたてのしいかはすごく香ばしい味でした。

電気会社が省エネを歌う広告で、
エアコンの設定温度を
夏は28度、冬は22度にしましょう、というくだりを見て、
快適温度は25℃とか言われているのに、
省エネのせいだけで設定温度に差をつけているんだと
ずっと思っていました。

夏の28度はやや暑くてちょっと無理があるのですが、
冬の22度は十分すぎるほど暖かいものです。
夏と冬では基礎代謝が違うからです。

体温というのはちょっとした温度変動に弱く、
たんぱく質の変性は41度からなので、
夏は体が熱を出さないように基礎代謝を下げます。

食べ物を食べるとそれだけで身体は熱を発生し、
体が熱くなりたくないと思う本能は
冷たい冷やし中華を求めたりします。

逆に、冬になると濃厚なアイスを求めるようになるのは、
別に冬にアイスが食べたくなるわけではなく、
甘くてカロリーのあるものをおいしく思う気持ちの
延長だと考えられます。

電子部品の見本市でもらった電子気温計を見てみると、
部屋の温度は27度になっていました。
能率にもずいぶん影響するものです。

土曜日, 4月 09, 2005

1冊図書館はいかが

耳かきが好きです。

研究室のデスクの引き出しに入っています。

出張でちょっと長いな、と感じる分岐点は
耳かきが欲しくなるかどうかだったりします。
だいたい3日ぐらいです。

とここまでの文章、3回以上書いています。
珍しく計算機が止まってしまうのです。

図書館の本は3万冊とかあって、
とても一生では読みきれないとふと思ったりします。
個人的に好きな本をやり取りする、「1冊図書館」を
作ってみると面白いかなあ、と思っています。

わたしは物に対して、良い意味でも執着がないので
たくさんの物を見ると困ってしまうのです。

木曜日, 4月 07, 2005

そういえば、うちの扇風機はどこへ行った

今日はやわらかい風が吹いています。
もくれんや椿や、たくさんの花の香りが窓越しに遠慮なく流れ込んできて
切ないような幸せな気持ちになります。

キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」をCDで手に入れました。
ずっとMDでしか持っていないものでした。
この曲、ジャズのコアな方にはあまり受けがよくないと聞いたことがあるのですが、
やっぱり幸せな気分になれるのです。
ひとつの理由は、「即興」であることを強調しすぎているからかな、と考えます。

風が好きです。
お風呂上りには扇風機が欠かせないのですが、
いつの間にか部屋から扇風機が姿を消しています。
もしかしたら、扇風機は目の前にあるのかもしれませんが、
扇風機の存在自体が意識されていないので、
やっぱりどこにあるのか分からないのです。

きょうは扇風機の話です。

うちの扇風機はイワタニ製のマイナスイオンが出るやつです。
ワイヤレスリモコンがありますが、
なくしそうなので本体に着けたまま使用しています。

月や地球という言葉はそれ自体が「質量」とか「存在」を表す言葉ですが、
風は少しニュアンスが違います。
「車」と「動いている車」の違いのようなもので、
風という言葉はその意味の中に動きを含んだ表現です。

よく、よどんでいる、という表現をすることがあって、
この言葉はあまり好ましくない意味で使われます。

流れが存在することを意識するのは、
生き物というものが「何かの流れ」の中に存在するものだからだと
よく思っています。

数百万の分子が集まっていてもたんぱく質は生き物とは呼ばれないけれど、
数万の分子でできたウイルスは「生き物」と規定されている、
ということは
生き物という言葉はその意味の中に動きを含んだ表現であることに
気がつきます。

こういう話を真顔ですると心配されてしまいますが、
時々、なぜ生きているのだろう、と考えることがあります。
考えていて答えが出ているのであれば、昔の誰かがもう答えを出しているのですが、
あいにくまだ答えが出ていないところを見ると、
自分ひとりが考えても答えが出ない確率が高いのです。

しかし、わからない、が最終的な答えであったとしても、
それでも考えたくなるのはなぜなのかが分からないままでいます。

その問題は難しすぎるので、
もし誰かが、私が風を好きな理由を突き止めてくれる
奇特な人がいたとしたら、
その方にはとりさん賞を差し上げたいと思います。

水曜日, 4月 06, 2005

火曜日, 4月 05, 2005

脳科学がもたらした、感情の定量化

研究室の引き出しには必要だと思って買った
クスリ類がたくさんたまっています。

今年の8月で消費期限が切れるアスピリンです。

日本人がとても好きなのは精神論で、
気合さえあれば何とかなる、というのを
ポスト・イットのように使います。

とかく体というものの側面を忘れているような気がしますが、
こういう日本人に脳科学はぴったりだと思います。

感情という、「気合でどうにでもなると思い込んでいるもの」は
実はずいぶん肉体に近い場所にあって、
自分の身体によって意識が制限されている、ということを
どうやらすんなり理解できるようになるらしいのです。

これをうまく振りかざせば、
従業員に快適な職場環境を与えることが
仕事の質を高めて生産性を上げる、という事実を
定量的に計算できるようになるわけで、
精神論が大好きな日本人にとって
生活を変化させる特効薬になる可能性があります。

月曜日, 4月 04, 2005

毎晩ラーメンを食べていたら、飽きるのは自然なことなのに

ガレ展を見に江戸東京博物館に行ってきました。
自分とガラスは相性がよさそうだと思っています。
透明で冷たく、滑らかなところが好きなのだと思います。

飽きること、という言葉は
あまりよい意味で用いられることがありません。
好きの力を大事にしなさい、というのも
結局は飽きずにやれ、ということの
活用形である気がするからです。

しかし飽きない、ということは
何かの入力に対して必ず結果が出るまで応答しなければ
ならない、ということであり、
そこには「やめる」ための手続きが示されていません。

例えば、根を詰めすぎて苦しくなったら
飽きてしまえればまた正常に復帰できるのですが、
飽きることが許されない場合、その結果は
成功か失敗という色に染められてしまいがちになります。

とかく「飽きる」ことがいけないことのように言われるのは、
現代に限った話なのか気になります。

成功でも失敗でもなく、
もし少しの時間でも「飽きる」ことが許されたなら、
気を病む人はもっと少なくなるんじゃないか、と
このごろ思いました。

人間にはいくら酸素が必要だとは言っても、
息を吸ってばかりでは苦しいのです。

土曜日, 4月 02, 2005

人は一生、そこで生きていくわけではないのだから

昨日目覚めたことは、
自分がいまの場所を離れていくだろう、という
漠然とした予感でした。

いつも、自分がいる場所が「借り物の場所」という意識は
物心ついたときからありました。
自分が今いる場所に、いつまでもはいないのだ、と
まるで使命のように考えていたのかもしれません。

たとえ家を持っても、
今の場所が「地上からの借り物」である不安は消えないと思いますが、
しかし最近、この土地に住むんじゃないか、という気持ちになってから、
何かの流れが止まったような気がしていました。

何もなくて旅をすることはできません。
今は、最初にここを訪れたときには考えられないような
たくさんの縁や経験を持つことができました。
そしてそれらのものと共に過ごす心地よさを感じながら、
しかし自分は止まってはいられないようにできているのだと
自分で気付かなければならないときがあります。

どこまでも自分は変わり、流れていかなければならないのか、と
自分に問うことは辛いことでしたが、
自分が変われなくなることほど辛いことはないのだ、と
今は理解しています。

もし自分にしてあげられるもっとも嬉しいことを挙げるなら、
毎日を旅に出るような気分で過ごし、
1日の終わりに熱いシャワーと冷たいお酒を用意することかなと
思っています。

金曜日, 4月 01, 2005

騒乱の中で迎える4月1日

本日はエイプリルフールなので、
ひとつぐらいなにか罪のない嘘を考えています。
この「罪のない」という条件を満たすところが難しくて、
あれこれと悩んでしまいます。

3月と4月は、人が大きく移動するので
別れと出会いの季節、とは使い古された言い方です。
それで、春は感情の振幅が大きくなりがちなのですが、
今年は割と冷静に春を観察しています。

それは桜が咲く前のつぼみの様子が気になったり、
春一番以外の春風が何回目か数えてみたり、
春の天気は周期的に変わっていることを思い出したり、
小さなことに注目してみるさまに現れている気がします、