火曜日, 4月 19, 2005

やっと決心がつきました

瓶入りファンタを見つけました。

ふと子供の頃を思い出しました。

わたしが加速器を好きになったのは高校生の時です。
光の速さで回る荷電粒子ビームを巨大な装置が加速している、という
少年向けアニメを現実化したような話に心を揺すぶられ、
自分の行く先を決めるきっかけになりました。

尊敬する物理の先生がイオン・ビーム実験をやっていて、
量子力学を勧めてくれたので
大学は原子核物理の分野を目指すことにしました。

大学に入った年の夏に、今の加速器に出会うきっかけを得ました。
それが以前の自分の研究テーマから連想できるものだったので、
加速器研究の誘いがあった時にはもう迷いはありませんでした。

研究を始めた「最初の目標」は、
誰もやったことのない実証実験を成功させることでした。
意識はそれだけに集中し、
他の選択肢がないほど自分を追い詰めてプロジェクトを進めました。

加速器は大きく、一人では装置全体を動かすことができません。
誰かが情報の橋渡しをし、スケジュールを調整する必要がありました。
その調整も自分の仕事として引き受けてみました。

結果として実証実験は成功し、
大きな成果を上げることができました。
5年間の目標を最初に自分に定めたのですから、
この目標は完遂されたのです。

しかし「チームで仕事をする」というわたしなりの目標と、
「研究成果を個人で取り合う」というチームの方針とは
いつもずれがあったように思います。
そのずれこそが、プロジェクトを進める上での
大きな違和感として残り続けていたのです。

暗黙のうちに、成果として残らない仕事を見てみないふりをする、
そういった仕事のやり方が続いていたのです。
チームで仕事をすることがわたしの理想である限り、
見てみぬふりはできなかったのであって、
そして見てみぬふりをしなかったからこそ
プロジェクトは大きく一歩を踏み出したのであって、
その理想は少しも間違っていなかったと確信しています。

しかし「プロジェクト」として立ち行かなくなることを
一人心配することで、研究には
重い鎖が繋がっていきました。
それこそが、わたしが自分自身を振り返る暇を持つことを
自分自身に許せない理由でした。

ある日始めたこのプロジェクトは、
いつしか「加速器」そのものと
同義語で語られるものになっていましたが、
私が好きなのは「加速器」であって、
「このプロジェクト」である必要はないことに
改めて気がつきました。

一度、このプロジェクトを辞めようと決めました。
辞めよう、と思った瞬間に、肩の荷が下りました。
あと1年で引継ぎを完了させ、研究業績をまとめ、
新しい加速器分野に目を向けていこうと思います。

世界に存在し、自分の人生を賭けるに値する「魅力的な研究」は、
別にこのプロジェクトでなくても構わない、と
ようやく言えるようになりました。
それがこのプロジェクトに出会って5年間を実際に賭けてみた
今の結論です。

そういえば、旅する哲学、は
旅の書ではなくて、哲学の書でしたね。

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