日曜日, 4月 24, 2005

みんなが非凡な人生を歩き始めたら

お土産で買ったネガを取り込んでみました。

気持ちを落ち着けて考えると、
自分がそこにいた、ということは本当は夢だったんじゃないかと
感じることさえあります。
春はなんとなく心もとなく、
小さな風にも心が揺れてしまいそうな季節です。

この間人と話していたことが
そういえば自分の中で何度目かの話題だ、と思い立って
今日の日記の話題にします。

平均、とか人並み、という言葉を
自分に当てはめるかどうか、ということを
よく思い返します。

平均とは統計という、ある同一条件を保証した系で起こる
多数の現象を集め、その傾向を抽出する作業のひとつです。
個々の現象はその「確率分布」に従ってランダムにおこる、というのが
前提となる話です。
平均とは一番簡単な統計の形であり、
もっと踏み込めば平均からの広がりがどれほどかということを
調べる必要があります。

例えば駄菓子屋さんでお菓子の値段を調べると、
平均は500円で、商品の値幅は1000円ぐらいだから、
それほど広がりがないのですが、
車やさんで車の値段を調べると、
平均は200万円でも商品の値幅が5000万円とかだったりして、
とても大きな広がりがあります。

考えの元となっている条件が変われば、
確かに確率分布は変わります。
しかしそれでも、個々の現象は「ランダムに起こる」ことには
変わりがないのです。

もしかしたら現代科学の認識には
繋ぎ方を間違った部分があるかもしれません。
それを明らかにするには
ニュートン力学と統計を混ぜてしまった、という
説明の切り口が面白いと思います。

養老さんの本の一説に
「こうすれば、ああなる」で済むものではない、という
言葉があります。
こうすればああなる、という考え方の基本は
ニュートン力学に端を発しています。

初期条件と系の方程式が決定された場合、
それ以降の時間における系の運動は完全に予測できる、というのが
大雑把なニュートン力学の利点です。

完全な予測ができるからこそ、
ロケットは宇宙まで行けたわけで、
これが「やってみなければわからない」のでは
いつまでたっても宇宙まで行けなかったのです。

そして経済や人の流れを考える際にも
線型方程式を使って取り急ぎその傾向が調べられました。
それが素晴らしく世の中の役に立った所までは良いのですが、
線型方程式こそが「世の中の仕組み」だと錯覚する人が
少なからず現れました。

ニュートン力学の未来予測の完全性と書くことには誤りを含んでいます。
式として予測できるのは線形の方程式、と呼ばれるものだけで、
非線形の方程式は今でもコンピュータに「現象をやらせて」います。
つまり「やってみなければわからない」ことは
最初から存在していたのです。

人間が生まれて生きていく過程を「方程式」のように
捉えてしまう、それ自体は大いにありうることです。
勉強すれば明日の試験の点がよくなる、というのも
ある程度信じられなければやる気になんかなれません。
でも人の生きていく過程は「線形の方程式」ではないのです。

では非線形の方程式には全く手が出ないかというと、
実は近い将来だけは無理やり線形化して知る手段があって、
それは摂動とか変分とかいう名前で呼ばれています。
これらを使えば明日の天気は確実に分かるけれど、
1週間先の天気が分からない、とかいう現象が起こってきます。

ここまでがニュートン力学の誤用についての話です。

統計の誤用については、
自分の身には「平均的な」ことが起こる、と
信じて疑わなくなってしまったことに問題があります。

たとえば結婚年齢の平均値が28歳だというと、
それから早いとか遅いとかを1,2年ぐらいの誤差で埋めようと
必死になっていたりする場面に出会います。

平均には広がりがあるので、
その広がりは10年ぐらいある、とすると
実は1,2年の誤差で埋めることができない人のほうが
多くなってしまいます。
そして「統計の正しさ」とは多数の傾向に対して意味があることであって、
自分ひとりの現象に対しては確率以外の保証がありません。

そして、統計の結果にニュートン力学の線型方程式のような
イメージをかぶせると必ずうまく行かなくなるのです。
科学のミスマッチを起こしたようなものです。

調査方法が正しく、科学の演繹も平均の数字も厳密に正しいのですが、
使い方を決定的に間違えていること、というのが
この例のようにたくさん存在します。

だからといってそれぞれが自分の道を歩め、とは
どこかで言えない部分もあります。
基準になるものが分からなければ不安になりやすいからです。
不安ばかりでは人は生きるのが苦しくなってしまいます。

でも不安に駆られて基準にしがみついて安心を得ようと思うと、
もともと基準に大きな広がりがあった場合、
当てが外れてしまいます。

偶然の出来事=incidentを
悪い事故=accidentと解釈する傾向が
強いのではないか、とも思います。

科学が明らかにしたことをちゃんと汲み取ろうと思うと、
人生は2、3歩先の現象はおよそ良く分かるが、
遠い将来のことは分からず、
平均はある種の比較対照にはなりうるけれども、
それが自分に起こるかどうかは偶然に委ねられる、と
いう表現になるかな、と思います。

科学を誤用しないように使う方法を紹介する、というのも
科学を仕事にする人の大事な仕事ではないかと
考えるようにしています。
それぞれの世界に「餅は餅屋」があり、
存分に助け合っていければそれで十分なのです。

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