木曜日, 4月 07, 2005

そういえば、うちの扇風機はどこへ行った

今日はやわらかい風が吹いています。
もくれんや椿や、たくさんの花の香りが窓越しに遠慮なく流れ込んできて
切ないような幸せな気持ちになります。

キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」をCDで手に入れました。
ずっとMDでしか持っていないものでした。
この曲、ジャズのコアな方にはあまり受けがよくないと聞いたことがあるのですが、
やっぱり幸せな気分になれるのです。
ひとつの理由は、「即興」であることを強調しすぎているからかな、と考えます。

風が好きです。
お風呂上りには扇風機が欠かせないのですが、
いつの間にか部屋から扇風機が姿を消しています。
もしかしたら、扇風機は目の前にあるのかもしれませんが、
扇風機の存在自体が意識されていないので、
やっぱりどこにあるのか分からないのです。

きょうは扇風機の話です。

うちの扇風機はイワタニ製のマイナスイオンが出るやつです。
ワイヤレスリモコンがありますが、
なくしそうなので本体に着けたまま使用しています。

月や地球という言葉はそれ自体が「質量」とか「存在」を表す言葉ですが、
風は少しニュアンスが違います。
「車」と「動いている車」の違いのようなもので、
風という言葉はその意味の中に動きを含んだ表現です。

よく、よどんでいる、という表現をすることがあって、
この言葉はあまり好ましくない意味で使われます。

流れが存在することを意識するのは、
生き物というものが「何かの流れ」の中に存在するものだからだと
よく思っています。

数百万の分子が集まっていてもたんぱく質は生き物とは呼ばれないけれど、
数万の分子でできたウイルスは「生き物」と規定されている、
ということは
生き物という言葉はその意味の中に動きを含んだ表現であることに
気がつきます。

こういう話を真顔ですると心配されてしまいますが、
時々、なぜ生きているのだろう、と考えることがあります。
考えていて答えが出ているのであれば、昔の誰かがもう答えを出しているのですが、
あいにくまだ答えが出ていないところを見ると、
自分ひとりが考えても答えが出ない確率が高いのです。

しかし、わからない、が最終的な答えであったとしても、
それでも考えたくなるのはなぜなのかが分からないままでいます。

その問題は難しすぎるので、
もし誰かが、私が風を好きな理由を突き止めてくれる
奇特な人がいたとしたら、
その方にはとりさん賞を差し上げたいと思います。

0 件のコメント: