木曜日, 12月 30, 2004

不思議なペン

わたしは装置についている小さな部品をよくなくしてしまいます。
電子手帳についていた、画面をタッチするペンがあるのですが、
買った日になくしたのにはちょっと自分でもあきれました。
そんなわけで新しいペンを探しに行って、
こんなものを見つけました。
SONY マルチスタイラス PEGA-ST10

画面タッチ用のプラスチックペンのほかに、
黒と赤のボールペンがついていて、
材質はアルミです。

説明書を見ずに使おうとするのがわたしのせっかちなくせで、
お店で買った袋を持ち歩きながらペンを取り出して、
プラスチックペンを出そうと思ったのですが、
ノック部はたった一つで、
ボールペン以外まったく出てきません。

そうか、どこかひねるんだ、と思い、
ペン先から胴体、ノック部まであらゆるところをひねりましたが、
ペンを分解する以上のことができませんでした。

このペンは2000円もしたのに、
中身は毎回手で入れ替えないといけないのか?と思い、
説明書を読んでみると、
ペン側面に書いてあるRed, Black, Stylusの文字をただ上に向けて
ノックすると、勝手に中身が選択されて出てくる、とありました。

さっそく試してみると、
いとも簡単にプラスチックペンが出てきて驚きました。
非常に不便だと思っていたペンは、
実は何の操作もいらないペンであることがわかりました。

こういう面白い機械構造、
これからどんどん増えて欲しいです。

火曜日, 12月 28, 2004

ラベルの記載では魔法瓶コップに85度のコーヒーを入れると、
1時間で65度になるそうですが、
98度のコーヒーを入れると、
最初の30分は熱すぎて全く飲めません。
ネスカフェの宣伝のように、
香りだけでも楽しんでいるとりさんです。

研究の現場にいながら、わたしが欲しいと思う本は
「工場における作業能率改善」のテキストだったりします。

研究者への批判めいたせりふとして、
「生産性が0に近い」というのをたまに聞きます。
ささやかながら正面から反論させてもらえば、
大量生産でき生産性を追及できる技術はすでに枯れた技術のことで、
新規性という点では付加価値がありません。

大量生産で外国に大量販売することが通用しなくなるのが飽和した社会なら、
今後「生産性」を目くじら立てて言うことは減るでしょう。

しかし内省的に所内を見ることが時々あります。

何もない地平に図面を描き、
新しいプロトタイプを作り続ける現場に於いて、
ルーチン化できる要素は確かに少ないと思います。
しかし、日々の研究の中に「流れ」のようなものが生じることがあり、
その部分だけでも自動化するととても便利になることがあります。

研究だからといって、全ての動作を人任せにする必要はないのです。

ある箇所がルーチン化できるかどうかを判断するには、
どうしても多少の時間がかかります。
ある作業が人の手で何度も同じように行われているのならば、という
現象的な証明が必要なのです。

研究者は孤独に机でペンを握って演繹しているわけではないため、
数人で構成されたプロジェクトは町工場のように動いているはずです。
せっかく研究所も法人化したのだから、
少しぐらいは生産性を求めてもいいかなと考える今日このごろです。


月曜日, 12月 27, 2004

感謝することは、全額受け取ることである

一度音楽をパソコンにMP3で録音して聞いていたのですが、
音の違いのせいかどうも音楽を聴くのが辛くなって、
再度劣化のない可逆圧縮で録音しているとりさんです。

会社というものと付き合うようになって、
時々不思議な気分になります。
会社の事業内容や、製作を依頼する品物について
こちらの理解がよく進んでいる場合、
会社は概ねきちんと装置を作ってくれるのですが、
こちらの理解ができていない場合、
会社は概ねきちんと装置を作ろうとしなくなってしまいます。

この問題、現代だけかな、と思っていると、
どうも昔からいい加減なところはいい加減だったのを
年配の方に聞いたので、
これは人が持っている性質のひとつなのだと思うことにしました。

わたしは飲み物を飲むのが遅いので、
コーヒーをたくさんもらってもよく冷めて飲みづらくなることがありました。
そこで、こんなものをもらいました。

魔法瓶のようなコップで、
温かいコーヒーが1時間ぐらい楽しめます。

わたしがものごころついたときから、
魔法瓶ってとても好きな道具です。
金属で熱を閉じ込めて、外とは真空で遮断されている、
その構造にもなんだかわくわくします。
ふしぎと魔法瓶があると幸せになれます。

金曜日, 12月 24, 2004

法人のほうが安くなること、個人のほうが安くなること

その違いが知りたいと思う今日この頃です。

明るい未来の「可能性」を持つ

競馬、パチンコ、マージャンなど
およそ全ての賭け事に疎いわたしです。
だいたいうまくいくことは積み重ねが必要だと思っていたら、
「パチスロだって攻略本を買って日々積み重ねることが必要だ」
と友達に言われてしまいました。
そこまで努力したら賭け事じゃないなと思うとりさんです。

年末ジャンボを買いに行ったらその前の日に発売終了だったようで、
初夢なんとかという宝くじを買ってみました。

宝くじというのは、数学の確率統計を使ってまじめに考えると
「まず当たらない」商品のひとつです。
300円とかはすぐ当たるのですが、
1万円とかになるとたまにしか当たったという話を聞きません。

投資対象としては期待値が低すぎるので全く勧められません。

それで、今までは
「まじめに考えて当たらない賞品をなぜ買うのか」と
不思議に思っていました。

しかしそれは「当たる」ことにのみ注目した考え方で、
「買うこと」によって「当選が出るまでの毎日が待ち遠しくなる」という
効果がついてくるのかもしれない、と思いました。

それは大地に種を蒔き、作物の生育を見守ることがなくなった
町に住む人たちが、「未来を楽しみにする」という気持ちをもちたいと
願う心の表れなのかもしれません。

人は「こころの生き物」であって、
「来年こそはいい年を」と心から願う気持ちがあるから、
今年がどんなに悲しい出来事の多い年だったとしても、
バブルの頃のように「成長する未来が当たり前」だと思っている時代より
よっぽど幸せな気がするのです。

水曜日, 12月 22, 2004

風邪薬はどのようにして風邪に効くか

今日は年末急に組まれたワークショップで、
2件、1時間半発表です。

風邪ウイルス自体を退治しないのだから
風邪薬は気休めであって効かないとよく両親に言われてきました。

しかし風邪薬が大脳の働きを抑えることでストレスが減り、
自然治癒力が高まるんじゃないかと思うようになってから、
風邪薬は気休めだから効くと信じています。

現に辛い風邪を引きましたが、
少し早く休むのと風邪薬で日中は仕事ができています。

火曜日, 12月 21, 2004

論文書きは縫い物に似て

最近の掃除道具はよくできています。
非常に細い繊維でできているウレタンスポンジとか、
風化サンゴの粉末を使った洗剤などがあります。
油性ペンで書いた跡だろうがカーペットにこぼしたカレーだろうが
何でも取れてしまいます。
それらの技術の原型は多分、昔であれば「おばあちゃんの知恵」として
代々引き継いでいく類のものだったと考えます。

ラスト・クリスマスの最終回を見ました。
みんなが幸せになる話はいいと思いますが、
誰とでもくっつけばそれでいいってもんじゃないだろう、というのが
正直な感想です。
ドラマに引き込まれるのは、そこにある種の「現実味」があるからだと
思っています。

年明けの提出に向けて論文書きを始めました。
一行ずつパズルを埋めていくような作業が続きます。

論文を書こうと決めてから、どういう方法で書き足していこうかと
いろいろ考えてきました。

最初は、何かの本で読んだ一節のように、
「書きたいことを付箋紙に貼って散文的に並べ、それらをつなぐ」
ということをやってみたのですが、
この方法は私に合っていないらしく、文書が少しもまとまりません。

それは、おそらく英語論文と日本語論文の壁に突き当たったのです。

英語の本とか小説はどれもめちゃくちゃ厚いのです。
日本語のようにさらさらと斜めに読み流すことができません。
書くほうに体力が要求されるなら、読むほうにも体力が要求されるのです。

よって、英語論文は物語を人に話して聞かせるような内容になります。
それは「わかる」ことを前提にして書く日本語と、
「わからない」ことを前提にして書く英語の違いであるように思いました。

「わかる」ことを前提にして書く日本語も、実は最近減ってきたと感じます。
それは日本人がさまざまな世界で生きるようになり、
「個人の常識」として持っている範囲が広がってひとつに括れなくなったからでしょう。

「読む側にわかりやすく」を実現するには、実は
「誰が読むか」を決め、
「どの言葉までは説明なしで通じて、どの言葉に説明が必要か」を
明らかにしなければなりません。

英語の教科書では、読者ターゲットを広くしようと
最初の導入部が長々と書いてあることがありますが、
内容が3章ぐらいになると専門用語が突然増え始めます。
それゆえ、途中から拾い読みできたためしがありません。

日本語の教科書では、
主に説明と内容はひとつの章で閉じていることが多いので、
途中からページを開けても中身を理解できて便利です。

もともと話が長いといわれているわたしは、
どちらに向いているのでしょうか。

月曜日, 12月 20, 2004

赤ペンですべての箇所に線を引きまくった教科書のように

今日もヴィックスドロップをなめています。
どうやら先週疲れた分がたたって風邪を引いてしまったようです。
しかしわたしは風邪を引くとおりこうさんになるという傾向があるのを知っていて、
やっぱり仕事をしています。

要点を抜き出すのが苦手だと感じることがあります。

社会の教科書などを読んでいても、
大事なところを強調するために赤線を引こうと思うと、
ほとんど全ての行に赤を引いていたりします。
全部の箇所に赤線を引くと、全部の箇所が目立たなくなります。

それである日気がついたのですが、
大事なところをはっきりさせるためには、
大事なところを見つけようとするのではなく、
大事ではないところを拾い出すことが必要なようです。

それはある意味で「捨てるものを選択する」ということに似ています。

何かを捨てるのが怖いと思うことがあります。
捨てた何かによって困ることが起きるんじゃないかと思うからです。
自分は捨てる勇気がもてないと感じるのです。

例えば旅行慣れしないころというのは
お箸がなかったら困るかもしれない、
ドライヤーがなかったら困るかもしれない、といろいろ心配して、
荷物が山のようになってしまいます。

旅行先で、何があまり使わないものかわかってくると、
バッグに詰める荷物の量が少しずつ減っていきます。

ある程度文明のある国であれば、
最終的には、パスポートとキャッシュカード、お金さえあれば
なんとかなるというところまで行き着きます。

しかし旅行をしたことがない人が
最初から荷物の少ない状態で出かけたとしたら、
おそらくないものが多すぎて路頭に迷います。

荷物をたくさん持って旅行を始める、
荷物をまったく持たずに旅行を始める、
スタート位置は違うかもしれませんが、
どちらにしても
「これだけは外せないもの」を見つけるためには
どうしても試行錯誤が必要なようです。


土曜日, 12月 18, 2004

Googleの検索に見る、人が書いた文字の世界観

あなたは博愛主義のようだ、と言われたのがふと気になって、
こんな調べものをしてみました。
キーワードと検索結果:

博愛 の検索結果 約 270,000 件
勝ち組 の検索結果 約 296,000 件

犠牲 の検索結果 約 1,070,000 件
勝利 の検索結果 約 4,730,000 件

協調 の検索結果 約 2,160,000 件
達成 の検索結果 約 6,550,000 件

協力 の検索結果 約 13,500,000 件
成功 の検索結果 約 32,600,000 件

平和 の検索結果 約 5,660,000 件
戦争 の検索結果 約 6,830,000 件

2004年12月18日、
少なくともネットの中で人はどちらかというと「戦うこと」を求めているように見えます。
勝つのはいいですが、その結果をもって世界をどうしたいのでしょう?

水曜日, 12月 15, 2004

充電池で動くプリンタ


葉書なら50枚くらいは楽に印刷できるので便利です。
電源が要らない利点を生かして、
特にデジカメ写真を現場印刷するのに役立てています。

火曜日, 12月 14, 2004

変なもの写真


農薬を使わず木酢液で害虫駆除をしたみかんだそうです。
ピラミッド状になっているのは、
「机の上に広げて置くよりも場所をとらないから」
ということでした。

月曜日, 12月 13, 2004

クリスマスに欲しいもの

妙に必要性を感じているのが、
メモリースティックの大容量版です。
誰かプレゼントしてくれないかな、と思う
妙に現実的なお願いでした。

パーティー報告


土曜日のパエリアはこんな感じです。

21世紀にやるとは思わなかったこと

誕生日おめでとうございます。

車のバッテリーを車検でチェックしてもらったときに、
もう体力がないから交換したほうがいいですよ、というアドバイスを
もらっていたのですが、
一度に出費になるのは困ったのでバッテリーの交換を
保留してもらってました。
そしたら朝、家を100メートルぐらい出たところでエンジンが止まってしまいました。
いわゆるバッテリー上がりです。

プールのおじさんの家が近くだったので相談すると、
「緩い下り坂があるから押しがけをやってみよう」ということになりました。
つまり車を何らかの方法でエンジンを使わずに走らせ、
タイヤの回転をエンジンに与えることで始動力を得る、というやつです。
ちなみにマニュアルでしか押しがけはできません。

おじさんに運転席に乗ってもらい、
後は坂道に合わせて車を一生懸命後ろから押しました。
アクセルペダルを踏みすぎていたのでエンジン内にガソリンが多くなりすぎていましたが、
無事始動することができました。

あとは所内のバッテリー充電器で仮充電して、
バッテリーを買って交換すれば問題解決です。
初めて車を押してかけるという体験ができたのですが、
今は文明の発達したはずの21世紀です。
小さな頃読んだ本の中では、
既に市民の乗り物が空を飛んでいたように思います。

金曜日, 12月 10, 2004

calender2005


calender2005
Originally uploaded by torisan.

flickrというソフトを使って画像をアップロードしてみました。

もともとは3ヶ月の月めくりカレンダーなのですが、予定をどこでも書き込んで調べられるように全部貼ってしまいました。

1年が365日あることを目で確認できます。

自分の世界に使命を課した歌うたいの悲しみ

最近よく眠れるようになったのは、
スケジュールがプロジェクトに追いかけられているのではなく、
プロジェクトがスケジュールを追い越して進展しているからだと
気がつきました。
この調子で追い越してゆけるといいなと思います。

テレビ朝日の深夜ドラマ"TRICK"の最後で歌われていた
鬼塚ちひろの「月光」という曲がとても好きです。
曲を聴いたときに、キリストの受難をこんな風に表現できる
うたうたいがいることをとても嬉しく思いました。
悲観に染まるでもなく、根拠のない希望を描くでもなく、
その現実感を人の大きさで捉えた歌が好きだったのです。

彼女がしばらく音楽活動を休止するという話を耳にして、
ふと考えることがありました。
自分に向き合い、惰性で音楽を作ってはいけないと
自分に強い使命を課したからこそ、
彼女は辛い思いをしたのでしょう。

彼女の中には「すばらしい音楽」の理想像というものが見えていて、
それに近づきたいと思うあまり自らを責めてしまう、
そんな印象にも感じられます。

素晴らしいうたうたいが、ある日歌い方を忘れてしまっても、
そんな時こそどうか自らを信じて、待ち続けて欲しいと思います。
きっとその先には、あなたが歌ったような
広くて新しい地平が待っているはずです。

木曜日, 12月 09, 2004

恋は精神的なものだけど、頭だけでするものではない

カレンダーは大きいと見やすいものですが、
小さくても近くにあればこと足ります。
逆に映画はテレビで見ても同じ画像が映っていますが、
映画館の大きな画面で観ると印象が変わります。

パソコンは包丁のようなもので、
まず使えるようになるまでは面倒な道具です。
少しずつ使えるようになると、
それがないとできない技術が身に付きます。
紙に文字を書きながら思考する方法とは
まるで違う方法なので、ちょっと苦労します。

言葉で伝わることはたくさんあります。
言葉でないと伝わらないことがあります。
見たことも聴いたこともない世界の話、
夜ご飯の材料、明日の天気と株価予想、
法律の遵守とか地図の行き先など、
世界を表現するために言葉が必要です。

言葉で伝わらないこともたくさんあります。
真冬の屋外で迎える、身体にしみこんでくるような夜明けの寒さや、
昼過ぎに目が覚めてカーテンを開けたときのめまいがするような明るさや、
たくさんの思いや涙を流したいほどの感動や、
自分の中で恋だと認識しているものなどは
どうにも言葉になりません。

言葉がたくさん流通できるのは、
それが「実体を持たない」からです。
実体を持つものは必ず現実の世界とのつながりを持ちます。
そして「言葉」によって伝わっているものは、
それは相手が実体を通して認識しているイメージを呼んだもので、
必ずしも言葉に結び付けられた実体はひとつではありません。

つまり実体を通してイメージが書き換えられれば、
それは同じ言葉を聞いても違う印象を持つことになります。

言葉だけでも恋はできます。
そこから一歩踏み出す、正確には行動を起こすのが怖いと思うのは、
思考は時間軸に沿っていないので逆戻りができるし、
それゆえなかったことにもできるのですが、
行動は時間軸に沿った連続的なものであるため、
実体を不可逆的に変化させることになるからです。
変化した先が予想できないことを心配するというのは
人間にとっては自然な連想だと思います。

自分が正しい選択をし続けてきた、とはとうてい思えません。
わがままも言うし、時に悪意もあるし、
機嫌も悪くなるし、かっこ悪いところも見せてしまいます。
自分が大切にしている人と別れたことは
どうしてそうなったのかと言われるとうまく一言ではいえません。

それでも、時に自分がよかったと思えるのは、
いろんな実体を自分の行動で感じ取ってきた経験があるからだと思うのです。
確定的な未来を設計することは人間にはできません。
でも行動すれば経験が残るのは確かなことです。

「未来を予想通りにする」という課題ではなくて、
「魅力的な自分にする」という課題を目標にしてみてはいかがでしょう?
自分の行動がひろがるかもしれませんよ。

セットで欲しいもの

Office Personal セットの組み合わせ:
×Word, Excel, Outlook
○Word, Excel, PowerPoint
だとまじめに思っているのはわたしだけでしょうか。
ちなみにExcelはVBAが完全に行き渡って作られたソフトなので
操作性と自動化は抜群にいいのですが、
WordはもとがVC++でできていたため、
マクロのかみあいがちぐはぐになっているようで困ります。

火曜日, 12月 07, 2004

食べ物についての所感

今日は昼から放射線講習でした。
放射線は目に見えないため、うっかり使い慣れてしまうと
その存在が気にならなくなってしまいます。
災害はその形がなくなって忘れられた頃にまた災害の周期がくるのではなく、
普段から潜在的に発生している災害の引き金を止め忘れたときにやってくるものだと思っています。

日本人が好んで売っている食事というのは、
低カロリーで減塩で油が少ないもの、と相場が決まっています。
もちろんこれは成人病を防ぐために必要な対策なのですが、
私が思うには、これでは活動的な人間が育たないのではないかと思っています。

私の見た西洋の国では、たんぱく質を含んだ食品が安く手に入る印象を受けました。
もちろん炭水化物はもっと大量に手に入るのですが、少なくともスタミナ切れにはならない安心感があります。

イチローや松井は肉や魚をたくさん食べるのだそうです。
普通にその食事メニューを栄養学の教室に連れて行けば、
カロリーオーバーだとか油脂が多すぎるとかいろいろ言われると思います。
しかし彼らはその活動力を食事に求めているわけです。
わたしは活動と食事のバランスが大切なのであって、何を食べるかが絶対的に大切だとは思えないのです。
低カロリーを勧める外国の人は、なんとなく日本をスタミナ切れにさせようとしてそんな宣伝をしている気がするのですが、気のせいでしょうか?

活動したい体にしたいのであれば運動と一緒にしっかりスタミナをつける、そして動きやすい身体でよく動く、
そうなればあとは健康を維持しやすい身体になっていくと思います。

私たちには、やらなければならないことがたくさんあるのです。

海物語の秘密

フォントを変えてみたところ、とても仕事がしやすくなったので
いつもより長く原稿が書けるようになりました。
原稿は書いていくたびにうまくなるものですが、
失敗が許されない設計などと同じ時期に原稿を書き始めると、
妙な緊張感を共有したままにしてしまいます。

単語ひとつに引っかかりもどかしい思いをするたびに、
翻訳を仕事にしている風杜さんはすごいなあと思います。

プラグマティズム、という言葉を正確に教えてくれたのは私の教授ですが、
実用主義のこの現代で、こんなに意味を成さない広告があるのか、と思ったのが
パチンコ屋さんの広告です。

一見たくさんの内容が書かれているようで、
実は全く意味が分かりません。
「新・海物語」というゲームのようなパチスロが人気のようで、
アニメのイラストのような広告を良く見かけるのですが、
パチスロが好きな人はその台のアニメを見て楽しんでいる、ということなのかと疑問に思いました。
あの手のギャンブルというのは、純粋に儲かるかどうかで勝負しているものだと思ったからです。

そうでなければ、当たったときのリターンがすごくなっている秘密があったりする、という理由も考えられるのですが、
とにかく他力本願の賭け事というものを今ひとつ理解できないとりさんです。

月曜日, 12月 06, 2004

画面の見やすさと仕事の能率について

Macの画面はフォントが綺麗なのに、
どうしてWindowsのフォントはエッジがきつくて見づらいのだろう、と
時々思うことがありました。
それで
http://linkage.xrea.jp/article/2004/05/smoothfont_1.php
というところから「Windowsのフォントを綺麗にする」という記事を読んで
さっそく実行してみました。

理系の人間がパソコンを使うときには、
どうしても「使いやすさ」の解釈として「計算能力の高さ」を考えてしまうのですが、
それは際限なく計算能力を要求する理系の仕事に限られます。
文系の人間、それは理系の人間が論文を書くときと全く同じなのですが、
使いやすいパソコンというのは、見やすい画面に入力しやすいキーボードが
便利です。

実際フォントを変えてみたところ、それだけで目の疲れがぐっと減りました。

画面を注視するような仕事に携わるみなさまに、
フォントの変更をおすすめします。

日曜日, 12月 05, 2004

ある仮説に基づいた未来予想

冬なのに日向ぼっこができた午後、
病院の玄関先のベンチで工作のおじさんと話をしながら、
すっかり顔がおひさまで温かくなってしまいました。

日本は戦後人口が増え続けました。
それで1億3000万人ぐらいいる勘定です。
ところが出生率がどうこうという話になって、
これから日本の人口は少し減ることになるようです。

文明について時々考えている、
「時代によって変わらないきまりごとのようなもの」、が
なんとなくまとまりました。

・正常な世界では”進化する”ものを選ぶようにできている
・次の世代は、必ず今の世代を超えるように振る舞う
・ただし、それが可能なのは”継承”ができた場合に限られる

ピラミッドの話を聞きました。
エジプト文明には高度な数学や天文学、物理学が存在し、
それがゆえに多くの人の安定な生活が成立したのですが、
人口が「何らかの原因で」なくなるか減るかすると
文化や技術が継承できなくなってしまいます。
多くの書物は後の世に現在の「生きる術」を記したものですが、
これも読む人の絶対数と継承原理がなければ役に立ちません。

この世の全てを手に入れたとしても、
地球に一人しか人間がいないのでは
それらの文明は意味を成さないのです。

歴史は繰り返す、とはよく言いますが、
これまでに人間が地球に60億人もいたためしはなく、
その世界はだれも経験したことがありません。
そして60億人が生きた知識として文明を継承しているからこそ
現代生活が成り立っているのです。

特に文明が進んだ、といわれる国において、
人口の増加は頭打ちになります。
ヨーロッパ諸国の様子があまり変化しないのは、
人口の絶対数が増えていないからです。

人が多ければ文明の速度が上がる、とすれば、
こんな仮説が成り立ちます。
もし、途絶えてしまった古代文明が仮に生き続けたとしたら、
飛行機の発明や宇宙旅行はもう1000年以上前に
実現していたのではないか、と考えるのです。

人が増えていく過程では、人は生存の競争を始めますが、
人が減り続ける過程では、人は継承をどうするか悩んできたはずです。

どんなに知識を蓄積しても、
人が少なければ、国力は下がるものなのです。

土曜日, 12月 04, 2004

研究室に泊まってみたくなる夜

夕方5時から始まったミーティングはヒートアップして、
終わったのは夜10時でした。
その間一度も休まず、このプロジェクトの次期計画を
一生懸命立てていました。
今年はあらゆる意志が現実化する、そんな年であったように思います。

なんとなく研究室に泊まってみたくなりました。

この部屋を始めて訪れたのは4年前の今頃です。
確かリュックひとつ、計算機ひとつで、
飛行機に乗るお金がなくて18切符で来たのを覚えています。
宿舎は用意してあったのですが、毎日課題が多くて戻れず、
仕方なくパソコンの前で、計算が終わるまで仮眠する、という
生活を2週間続けました。

Vaio505の薄くて小さなノートは大学に編入するときに揃えた道具で、
当時の自分にはぎりぎりの計算能力だったことを覚えています。
その頃作ったデータは今のパソコンにもちゃんと引き継がれています。

あの頃、アスピリンを知っていたら、
もう少し気持ちは楽だったかもしれない、なんて思います。

つくばに来ること、それは今にして思えば、
自分というプロジェクトの立ち上げでした。
予算を集め、引越しの資金を作り、
交通の不便な生活を乗り切れるよう古い車を譲ってもらい、
自分の研究テーマの目標と役割を決めました。
予算の期限は2年、研究が成果を出す期限は5年と決まりました。

一方の研究所のプロジェクトは、
その当時予算が今のようについておらず、
小さな試作機によって性能をテストすることと、
設計段階でのシミュレーションで可能な限りスペックを追い込むことに必死でした。
装置の発熱に対する冷却計算、電気的な負荷の解析、
物を作れないがために覚えなければならなかったそれらの解析は、
今になってその必要性が高まっているものばかりです。

それらの展開が実を結び、
まずは大きな予算がつきました。
新しい問題は展開の突破口となった場所から生じます。
解析と違って、物を作るのには全く桁が違う時間がかかるのです。
計算で電圧波形を出すと1週間で予想がつくものが、
本当に電圧が出る装置を作るのに半年から1年かかるのです。

苦労したのは研究の中身だけではありません。
システム全体を設計するとは言っても、1からの設計などやったことのない自分では
目隠しをして全力で走っているような不安に駆られることが
何度もありました。
自分がゴーサインを出した装置が実は欠陥を抱えているのではないかと思うと
怖くて夜も眠れないのです。

たくさんの、必要ではあるが面倒な作業、というのを誰がやるかというのも
大きな苦労のひとつでした。
研究や論文に役立つものだけをやりたい、という気持ちが強くては
面倒な肉体労働は一見役に立たないように見えるし、
一度成功した装置ならともかく、
動くかどうか分からない、なんの測定結果も出てこない装置に
ずっと期待を寄せ続けて作業を進めるのは、
海にスコップで土を投げ入れて陸を作るような気持ちでした。

たくさんの「心配」を振り払うためにも多くの時間を必要としました。
故障したときの対策、破損したときの対策、
それらは安全装置の設置によってある程度は被害を食い止められますが、
最後に装置の安定性を決めるのは人の手作業の巧拙によるものも多く、
大きく重い装置なのに慎重な取り扱いが要求されるのです。
そして安全装置の設計自体も大きな仕事であるのに、
不要なほど多くのセンサーを設計段階ではつけようとしたりして、
経験がなければ現実的に考えるのが難しいことも良く分かりました。

そして加速器を理解するのがとりわけ難しい理由は、
装置1周が300メートルもあり、その機能と場所を知るために
広い敷地を何年も走り回って覚えなければならないことにあると気がつきました。

それらの苦労を一つ一つ積み重ねて、
装置は電源という心臓を与えられ、電気配線という神経を与えられ、
制御装置という頭脳を与えられ、出力装置という手足を与えられ、
モニタという目と耳を与えられ、それらは有機的に結合され、
誘導加速装置というひとつの実体と、
誘導加速シンクロトロンプロジェクトというひとつの目的に
魂が吹き込まれたと表現するのがぴったりだと思います。

その魂はさらに大きな、あるいは社会である加速器の一部として存在し、
一つの新しい機能を与えられ、加速器自体を支えるようになりました。

プロジェクトという概念が自分で走り出すのも装置という実体が存在するからで、
装置を使った議論、装置の更なる応用が広がっていきます。
それはプロジェクトに魂が吹き込まれた状態です。

まだ走り始めたばかりのプロジェクトは、ともすれば転んでしまうので
しっかりと目標をつけて支えてやらなければなりませんが、
それがうまくいけば、後はひとりでに大きくなっていくでしょう。

男性は人の命である子供を生むことができませんが、
社会の中で存在する有機的な生命体、
会社やプロジェクトというものを生み出すことができるのかもしれない、と
感じました。

木曜日, 12月 02, 2004

徹夜より難しいこと

たとえば、30時間起きていろと言われれば、
必要に迫られていると多分起きていられますが、
28時間起きていて、2時間寝て起きろ、と言われると、
なんだか無理な気がするのです。
できれば寝たい、しかし起きるのは辛い、
こんなときのよい対策法があったら教えてください。

水曜日, 12月 01, 2004

渡りに船

今日のような話を、きっと「渡りに船」と言うのでしょう。
中身は秘密です。

Maybe, I am Alien

今朝目が覚めたときに、
もしかしたら自分は本当にどこか違う星から落ちてきたのかもしれない、
そうでなければこの体に心が結び付けられている説明ができない、
変わり者とよく言われて、どこの国籍にも属していないような雰囲気にならない、
こんなことをふと思いました。

仮にそうであったとしても、姿は一応人の形をしていて、
流暢な日本語とちょっと説明に困る英語を話し、
この星の食べ物をおいしいと感じ、
みんなが幸せになることを願い続けられるのであれば、
自分が何であっても特に構わないかな、とも思いました。