土曜日, 12月 04, 2004

研究室に泊まってみたくなる夜

夕方5時から始まったミーティングはヒートアップして、
終わったのは夜10時でした。
その間一度も休まず、このプロジェクトの次期計画を
一生懸命立てていました。
今年はあらゆる意志が現実化する、そんな年であったように思います。

なんとなく研究室に泊まってみたくなりました。

この部屋を始めて訪れたのは4年前の今頃です。
確かリュックひとつ、計算機ひとつで、
飛行機に乗るお金がなくて18切符で来たのを覚えています。
宿舎は用意してあったのですが、毎日課題が多くて戻れず、
仕方なくパソコンの前で、計算が終わるまで仮眠する、という
生活を2週間続けました。

Vaio505の薄くて小さなノートは大学に編入するときに揃えた道具で、
当時の自分にはぎりぎりの計算能力だったことを覚えています。
その頃作ったデータは今のパソコンにもちゃんと引き継がれています。

あの頃、アスピリンを知っていたら、
もう少し気持ちは楽だったかもしれない、なんて思います。

つくばに来ること、それは今にして思えば、
自分というプロジェクトの立ち上げでした。
予算を集め、引越しの資金を作り、
交通の不便な生活を乗り切れるよう古い車を譲ってもらい、
自分の研究テーマの目標と役割を決めました。
予算の期限は2年、研究が成果を出す期限は5年と決まりました。

一方の研究所のプロジェクトは、
その当時予算が今のようについておらず、
小さな試作機によって性能をテストすることと、
設計段階でのシミュレーションで可能な限りスペックを追い込むことに必死でした。
装置の発熱に対する冷却計算、電気的な負荷の解析、
物を作れないがために覚えなければならなかったそれらの解析は、
今になってその必要性が高まっているものばかりです。

それらの展開が実を結び、
まずは大きな予算がつきました。
新しい問題は展開の突破口となった場所から生じます。
解析と違って、物を作るのには全く桁が違う時間がかかるのです。
計算で電圧波形を出すと1週間で予想がつくものが、
本当に電圧が出る装置を作るのに半年から1年かかるのです。

苦労したのは研究の中身だけではありません。
システム全体を設計するとは言っても、1からの設計などやったことのない自分では
目隠しをして全力で走っているような不安に駆られることが
何度もありました。
自分がゴーサインを出した装置が実は欠陥を抱えているのではないかと思うと
怖くて夜も眠れないのです。

たくさんの、必要ではあるが面倒な作業、というのを誰がやるかというのも
大きな苦労のひとつでした。
研究や論文に役立つものだけをやりたい、という気持ちが強くては
面倒な肉体労働は一見役に立たないように見えるし、
一度成功した装置ならともかく、
動くかどうか分からない、なんの測定結果も出てこない装置に
ずっと期待を寄せ続けて作業を進めるのは、
海にスコップで土を投げ入れて陸を作るような気持ちでした。

たくさんの「心配」を振り払うためにも多くの時間を必要としました。
故障したときの対策、破損したときの対策、
それらは安全装置の設置によってある程度は被害を食い止められますが、
最後に装置の安定性を決めるのは人の手作業の巧拙によるものも多く、
大きく重い装置なのに慎重な取り扱いが要求されるのです。
そして安全装置の設計自体も大きな仕事であるのに、
不要なほど多くのセンサーを設計段階ではつけようとしたりして、
経験がなければ現実的に考えるのが難しいことも良く分かりました。

そして加速器を理解するのがとりわけ難しい理由は、
装置1周が300メートルもあり、その機能と場所を知るために
広い敷地を何年も走り回って覚えなければならないことにあると気がつきました。

それらの苦労を一つ一つ積み重ねて、
装置は電源という心臓を与えられ、電気配線という神経を与えられ、
制御装置という頭脳を与えられ、出力装置という手足を与えられ、
モニタという目と耳を与えられ、それらは有機的に結合され、
誘導加速装置というひとつの実体と、
誘導加速シンクロトロンプロジェクトというひとつの目的に
魂が吹き込まれたと表現するのがぴったりだと思います。

その魂はさらに大きな、あるいは社会である加速器の一部として存在し、
一つの新しい機能を与えられ、加速器自体を支えるようになりました。

プロジェクトという概念が自分で走り出すのも装置という実体が存在するからで、
装置を使った議論、装置の更なる応用が広がっていきます。
それはプロジェクトに魂が吹き込まれた状態です。

まだ走り始めたばかりのプロジェクトは、ともすれば転んでしまうので
しっかりと目標をつけて支えてやらなければなりませんが、
それがうまくいけば、後はひとりでに大きくなっていくでしょう。

男性は人の命である子供を生むことができませんが、
社会の中で存在する有機的な生命体、
会社やプロジェクトというものを生み出すことができるのかもしれない、と
感じました。

0 件のコメント: