恋は精神的なものだけど、頭だけでするものではない
カレンダーは大きいと見やすいものですが、
小さくても近くにあればこと足ります。
逆に映画はテレビで見ても同じ画像が映っていますが、
映画館の大きな画面で観ると印象が変わります。
パソコンは包丁のようなもので、
まず使えるようになるまでは面倒な道具です。
少しずつ使えるようになると、
それがないとできない技術が身に付きます。
紙に文字を書きながら思考する方法とは
まるで違う方法なので、ちょっと苦労します。
言葉で伝わることはたくさんあります。
言葉でないと伝わらないことがあります。
見たことも聴いたこともない世界の話、
夜ご飯の材料、明日の天気と株価予想、
法律の遵守とか地図の行き先など、
世界を表現するために言葉が必要です。
言葉で伝わらないこともたくさんあります。
真冬の屋外で迎える、身体にしみこんでくるような夜明けの寒さや、
昼過ぎに目が覚めてカーテンを開けたときのめまいがするような明るさや、
たくさんの思いや涙を流したいほどの感動や、
自分の中で恋だと認識しているものなどは
どうにも言葉になりません。
言葉がたくさん流通できるのは、
それが「実体を持たない」からです。
実体を持つものは必ず現実の世界とのつながりを持ちます。
そして「言葉」によって伝わっているものは、
それは相手が実体を通して認識しているイメージを呼んだもので、
必ずしも言葉に結び付けられた実体はひとつではありません。
つまり実体を通してイメージが書き換えられれば、
それは同じ言葉を聞いても違う印象を持つことになります。
言葉だけでも恋はできます。
そこから一歩踏み出す、正確には行動を起こすのが怖いと思うのは、
思考は時間軸に沿っていないので逆戻りができるし、
それゆえなかったことにもできるのですが、
行動は時間軸に沿った連続的なものであるため、
実体を不可逆的に変化させることになるからです。
変化した先が予想できないことを心配するというのは
人間にとっては自然な連想だと思います。
自分が正しい選択をし続けてきた、とはとうてい思えません。
わがままも言うし、時に悪意もあるし、
機嫌も悪くなるし、かっこ悪いところも見せてしまいます。
自分が大切にしている人と別れたことは
どうしてそうなったのかと言われるとうまく一言ではいえません。
それでも、時に自分がよかったと思えるのは、
いろんな実体を自分の行動で感じ取ってきた経験があるからだと思うのです。
確定的な未来を設計することは人間にはできません。
でも行動すれば経験が残るのは確かなことです。
「未来を予想通りにする」という課題ではなくて、
「魅力的な自分にする」という課題を目標にしてみてはいかがでしょう?
自分の行動がひろがるかもしれませんよ。
1 件のコメント:
とりさん
とりさんのブログにはちゃんとコメントできるみたいですね。
いったいなにがいけないのかな。
ということはおいといて。
おなじBlogger user同士、これからもよろしくお願いします。
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