閉じた世界を造り出す
松本人志の「遺書」に、
深夜の番組は実験場である、というくだりを読んでから、
深夜番組に興味を持つようになりました。
「トリビアの泉」、「ブラックバラエティ」、「キスいや」などは
もともと深夜から始まった番組です。
しかし深夜番組で面白いものは
ゴールデンの時間帯に持ってこられて面白くなくなってしまうものが多く、
複雑な気分です。
西洋人はリスペクトする、されるという作業を通して
自分の名前を広めて行きたがります。
同じ仕掛けのものは日本にはあまり浸透していません。
誰かの紹介をする際に、自分の名前も広めて欲しい、という思惑を持って
紹介したりしないからです。
モーニング娘。とジャニーズは、
閉じた世界の中で「互いにリスペクトする」という演出を行っています。
内輪の褒めあいのようなものですが、
視聴者が見て納得するとそれが大衆の印象へと刷り込まれていきます。
外界からの評価を必要としないシステムは、
自分勝手に作ったプログラム言語のようです。
確かに内輪の世界にとっては便利な道具なのですが、
外界への拡張性がありません。
いつも表にさらされているのは辛いもので、
時には外部の影響を受けない避難所で休むことが必要です。
けれど、避難所は恒久的な居場所ではないので、
外界とのバランスをとるために外へ出なければなりません。
村上龍「恋はいつでも未知なもの」の中に、
SMを演じるお客について述べた一文があって、
ここで支配・被支配という関係はあくまで避難所的な役割であって、
それが本質にはなりえない、というようなくだりがあります。
一時期、アメリカ司法局の裁判官が
幼児性愛の性癖を持つことがクローズアップされました。
岡野憲一郎「気弱な精神科医のアメリカ奮闘記」によると、
幼児性愛者は人並みの人権が与えられないほどに差別を受けるのだそうです。
それでも異常性愛へ走ってしまう背景には、
現実世界と嫌でも直面し善悪を判断し続けなければならないプレッシャーが
あるのだと考えています。
だからといって異常性愛が認められるわけでは決してないのですが、
それは彼らなりに探し出した「避難所」の形なのだろうと考えています。
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