今を生きなければならない、が、未来には予定が入る
飛行機雲が浮かんでいました。
土地も空も、挙句の果ては星の名前まで
人は名前をつけて法律を作り自分のものにしようとしていますが、
それは誰かが勝手に「わたしのもの」と言っているだけで、
見上げた空をすがすがしく思うのはみんなに与えられた自由です。
PSXで美術番組を録画してみました。
同じタイトルの番組を集めると
傾向がはっきり見えてきます。
同じ美術番組でも、
NHKの「新日曜美術館」は言葉での説明が多いし、
ひとつの場所で評論家に語らせる時間が長く
冗長な感じがします。
美術物をただ撮影すれば番組になると安易に思わずに、
もう少し取材の努力をして欲しいと思います。
個人的に気に入っているのは「美の巨人たち」で、
芸術家の背景などを緻密に取材し映像化しているので
見ていて飽きがこない感じです。
そのかわり、一度見ただけでは中身を覚えられません。
「今を生きよう」という言葉を時々耳にします。
高橋がなりさんのブログでも出てくるし、
すがのたいぞう「心がほっとする考え方」の中にも登場します。
読みながら、なるほどと思いはするのですが、
どういうわけか心は晴れません。
今は確かに今だと感じるのですが、
心が焦って落ち着かないのです。
焦りというのは将来起こる何かの出来事に対して
十分な準備時間が足りないと感じることから始まります。
すこし寝坊した朝の、駅までの通勤路、
寝過ごした試験当日の朝、
自分はこの調子でいいのかとふと思う落ち着いた日常など、
焦るという状況はあまり心が穏やかではありません。
焦る気持ちは、
自分に力があって時間内に準備が間に合うと思うと楽になります。
しかし、自分にすぐ力がつかなくても
予定を先延ばしにできればやはり気持ちは楽になります。
光陰矢のごとし、とか言いますが、
1年という時間を使い切るのは大変で、
結構1年は長いものだと感じています。
未来にはたくさんの予定が入ります。
週末の計画、夕食の準備、実家への帰省、車検の日など
自分が抱えている出来事には決まった日があります。
人が増え、人が決めた出来事が増えてきたために、
未来には予定が入るようになってしまったのです。
予定がどれも時間内に間に合うような準備ができる、
あるいは必要でない予定を削ってしまうと、
やっと人は今を考えることができるようになります。
ということは、「いまを生きよう」というアドバイスには
「すぐには難しいかもしれない」と但し書きをする必要がありそうです。
引き算はマイナスという言葉に結びついているせいか、
なんとなく後ろ向きな印象で使いたがりませんが、
現代人が作った予定はあまりに多いので、
ひと一人分になるように引くことが大切だと感じます。
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