金曜日, 1月 07, 2005

1年分の食事を1日で食べたら

プールから戻ってきて、なんとなく日記を
書きたくなりました。

例えば、ネットビジネスで儲かったと自称する人が
この世にはたくさんいます。
楽して左うちわで暮らせていて、
いろいろな「やりたいこと」を目標として並べています。
銀座のフロアを貸しきってみたいとか、
月に行きたいとか、
中身はどれも確かに「お金がかかること」ではあります。

確かに「お金がないとできないこと」だと思いますが、
それを聞いてもその人を尊敬するようになったりはしないと思います。

1年分の食事を1日で食べたら、
誰だって絶命します。

山ほどのお金を手に入れたい、というのは
世界中の料理を一度に食べたいと言っているのと同じです。
目の前に並べて満足はしますが、結局食べる体力の分しか
食べられないのです。
こどもがよく「いーっぱいたべたい」と言うと、
大人は笑います。

お金を手に入れる目標は思いつきやすいもので、
それを手に入れた自分が平常心を保持できるか、
あるいはどうやって平常心を保つのかは誰も考えません。
こどもの言うことと同じ意味なのに、
大人が「いーっぱいお金が欲しい」と言っても、
大人は笑いません。

プロ野球球団を例えば一介の市民が突然手に入れたとしても、
手に入れるのは名前と周りからのうやうやしいVIP待遇で、
選手はチームの中で勝手にプレーしているのだし、
観客もオーナーが誰かなんて半ばどうだっていいと思っているのだし、
それを「持っている」と実感を持って言えるようになるためには
その球団に積極的に関わりあって貢献しなければなりません。

球場には閑古鳥が鳴く日もあるし、
ほかの会社からのアタックもあるだろうし、
たとえ誰かがやってくれるようになっていたとしても、
その誰かがオーナーを信じていなければ動きません。

それに、そんなものが手に入ったとしても、
ひとつの恋する気持ちを持ったときの喜びには
遠く及ばないということはよく分かっているつもりです。

こんなことを考えるようになってから、
自分の欲というものを見つめるようになりました。
それを手に入れた後で、
手に入れた自分は正常に保持されるのかを
時々考えるようにしています。

もし、自分がもっと大きな存在になるのであれば、
自分に埋め込む経験がまだまだたくさん必要です。

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