それって、1010・・・の世界でしょ、の続きの話
離散技術を普段使わない人にとって
デジタルについて言い古された表現に
「最終的には0か1かの世界なんでしょ、」
というのがあります。
この表現、確かにそうであると思うのですが、
いつも何かを説明し忘れている気持ちになるのです。
そこで、もう少しこの「1010」の世界について
踏み込んだ説明をしてみようと思います。
デジタルとは糸のようなものです。
糸は素材なので、
織れば布になるし、
束ねれば紐になります。
パッチワークや刺繍で模様や絵を作ることもできます。
布はまた素材として、加工されて洋服になり、風呂敷になります。
紐は荷物を縛ったり、縄跳びの道具になったりします。
さて、1010はどうすれば何になるのでしょうか。
1010も素材なので、
まとまった情報として扱えば2進数という数になるし、
電気装置の信号に対応させればスイッチになります。
数字になれば足し算や掛け算ができます。
スイッチになればイラストロジックのように絵や文字として使うことができます。
赤、青、緑のスイッチがあれば色を変えられるようになります。
キーボードはたくさんのスイッチでできています。
液晶の画面もたくさんのスイッチでできています。
数字としての1010や絵や文字としての1010を
1対1に対応させて覚えさせ、その結果を組み合わせると、
ワープロができます。
1010は組み合わせることによって
多様な使い方を提供するのです。
よく、杓子定規で頭の固い人に向かって
「人間は0か1かでは割り切れない部分の生き物」とか
よく言います。
ちゃんと説明すると、数字の上での無限には2種類あって、
ある数字とある数字の間を分けていく無限小の無限と、
どんどん数字をたしていく無限大の無限があります。
この場合、
上の表現は無限小の無限を使っていて、
1010は無限大の無限を使っています。
やっぱり1010も多様なのです。
人間がもし本当に0か1か、2つの決定条件でうろうろしているとしたら、
ちょっと単純な装置です。
3つの決定条件があれば、少なくとも8つのパターンが出てくるからです。
ここまで書いて、
「頭が固い」の表現には
「調節がきかない」という意味と
「選択肢が少ない」という意味が込められていることに
気がつきました。
ちなみに、「人間のような判断をする演算装置」も
近く実用段階に入ることをニュースで見ました。
熟練工のような勘や判断なども再現できるそうです。
手塚治虫のマンガが具現化されているような気がして、
人の生きる意味を求めるのがさらに難しくなるようで
少し怖くもあります。
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