木曜日, 1月 20, 2005

誤解を恐れずに言えば、文字に重点を置きすぎた

研究室には、日曜市で買った油絵が置いてあります。

Passionという言葉は意味が深くて気に入ってます。

論文という文章書きで参考になるのは、
ほかの人の論文、などとよく言います。
「論文を読め」というのは
物理屋の常套文句で、さまざまな文脈で使われます。

自分の権威を見せたいとき、
会話による説明が面倒であるとき、
研究が必要だというお説教をしたいとき、
すぐには答えられない質問を受けたときなど、
すべて「論文を読め」のひとことで片付いてしまいます。

わたしは工学屋なので、
ぞんざいで具体性を欠いた説明を聞くと腹が立ちます。

西原理恵子のマンガの中に、
「こどものころは、質問をしたくても
何が分からないのかが分からない」という
表現を知らなくて、辛い思いをした、というくだりがあって、
ずいぶん腑に落ちたような思いになったことを覚えています。
「論文を読め」という言葉は
本当は「読むとどんなことが分かるのか」という連想が必要なので、
直接的なアクションをイメージできない言葉です。

最近、自分が疑問に思うことを纏めています。
自分がつまずくことは人もつまずくことがあるだろうと思い、
そのときの具体的な助けにしたいと考えたからです。

地上の知識を神の領域へ連れて行きたがるのが物理屋の仕事なら、
神の知識を地上へ引きずり下ろすのが工学屋の仕事です。

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