日曜日, 5月 13, 2007

アメリカに見る、いわゆるカースト制と呼ぶもの

三菱製の加湿器が警報を鳴らすときは
湿度が30%以下のときで、
4月と5月は空気が乾いています。

仕事の割り振りについて思います。

ある装置が故障したとき、誰かが修理します。
故障という現象に対して修理という仕事が発生します。

修理する人を割り当てるときの原則は
明示的に、あるいは暗黙的に決まっていて、
誰でもいいから修理できる人が修理するか、
修理を担当することになっている人が修理するかで
状況が変わります。

誰でもいいからできる人が割り当てになる、というのが
どちらかというと日本的なやり方で、
この場合構成員は「対応可能である限り積極的である」ことが
この原則を維持するベースの性質として必要です。
誰でも良くて誰かがやるだろうと思っていると
修理はいつまでも直らないからです。

修理の担当になっている人が修理する、が
どちらかといえばアメリカ的なやり方です。
この場合構成員は「割り当てられた職域に責任を持つ」ことが
この原則を維持するベースの性質として必要です。

これらの原則が暗黙的に混在している場合、
混乱が起こります。

暗黙的な原則側では全ての人が積極的である必要があり、
もし職域を設定する必要がある場合、
それは明示的でなければならないことが分かります。
つまり、暗黙的な原則に頼る場合は
正確な職域を設定することができません。
そのため、一人一人の責任範囲は
あいまいであると同時に無限責任となります。

たとえば西洋の国に広められている憲法は
基本的に人間を互いに等価な存在として認めると
定められています。
しかし仕事の上では、それぞれの職域が決まっているため
修理は誰でもして良いわけではなく、
修理を担当する人のみが修理を行えます。
この制度は一方で人の仕事を失わない、つまり
仕事を保護する意味合いもあり、使い方によっては
それに階級的意味合いを持たせるならば
職域の逸脱と個人の進歩の可能性を封じてしまう意味合いにもなります。
これはカーストの制度と同じです。

それぞれの職域が明示的に決められていない日本では、
職域の逸脱も進歩の可能性も確かに持っていて、
しかし無限責任であるがゆえに
ある人が仕事を失ってしまう状況も
ある人にばかり仕事が積み重なる状況も発生します。

暗黙的、つまり非明示的な情報で構成される社会は、
情報を蓄積することもできません。
日本は流して行く文化なのだと言い、
それは暗黙の了解を是とする限り変わらないことであることが分かります。

非明示で形のないもののほうが重要とされる社会では、
明示的なものに重要性を付加できません。
おそらく数世紀たっても、日本のこの性質は変わらないでしょう。

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