火曜日, 5月 22, 2007

identity of music

小グループですったもんだして仮に纏めた案があって、
最適化の基準が異なっても数字で判断できない条件では
大グループで相談すると
すったもんだの過程を一度丸ごとやり直すことがしばしばあって、
大グループでは小グループにある程度の権利委譲を
認めておいてもらう必要があることが最近感じることです。

「同じ曲」の定義について思います。

曲にどこまでの条件を付加するかで
「同じ」と「違う」の表現は異なります。
歌い手が変われば違う曲だとする人もいるし、
メロディーラインが同じなら同じ曲だという人もいます。

「同じ曲」が流せる可能性を手にした後で、
わたしたちがそれを「同じ曲」として再生するかどうかは
別の問題です。

曲の違いの中に、
曲調の違いは大きいと思っています。
たとえ音の上下とリズムが同じでも、
調が違えば印象が違います。

CDをかけると流れる音は同じようですが、
最後に一つ「音の大きさ」というのが
曲を同じにしたり違うものにしたりするのではないかと
確信的に思っています。

人と話をするときになぜ通じないのだろうと考えたとき、
大抵のアドバイス本はその「中身」について問題にすることが多く、
表現方法は別の本で詳しく取り上げられています。

通じない話はもしかしたら声が「大きい」のかもしれない、
それは複雑な議論をするときに大声で話していたら
十分耳を澄ませて考えられないからという理由は成り立ちそうです。

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