木曜日, 5月 17, 2007

笑いの総量

とても性能のよいソフトがやってきて、
それが勝手にいろんなデータを出力してくれて、
見た目にはやたら情報量が多くても、
なぜか人がそれに関わった時間というのは感じることができて、
時折それを不思議に思います。

偶像ではなく書物を持つ、
ということにおいて宗教のある種類は一致しています。
聖書を傍らに置く人の気持ちは
なぜか理解できるような気がするのです。

本は物として成り立っているのではなく、
「言葉」によって成り立っているところが偶像とは違います。

どんな本を選ぶかは人によって異なりますが、
おそらく人には「この1冊」とか「この1曲」のようなものがあるように思います。
もしそれがない、という人は、
たとえば指輪だったりお守りだったりするのかもしれません。

話は少し違うのですが、
会話の中の笑いには総量があって、
面白いことを言われると笑いたくなるのですが、
面白いことが真顔で言われるから面白いのかも知れず、
面白いことを笑いながら話したらこれほど笑うだろうか、と
ふと感じたことがあります。

ある日わたしはメールで笑顔の顔文字をたくさん送り、
しかしそれが本当にほんの少しだけ
「笑っていなければならない」という気持ちを含んでいたことに気付き、
それで笑い顔の絵文字を送る回数がずいぶん減りました。

一日に歩ける量が決まっているように、
わたしはどうも一日に笑える量も決まっているような気がします。

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