日曜日, 5月 06, 2007

特別なものは見当たらず、しかしいつも目の前にあって


血圧計を買って、
頭が張ったような気分になったときには
血圧が上がっている、という相関が分かりました。
朝は若干血圧が高めです。

「特別」という言葉がどこかに引っかかって、
この何日か考え事をしています。

「わたし」は何らかの方法で「特別」であることを望むように思います。
歴史に自分だけの名を残すのだ、と言い、
限られたヒトしか体験できなかったことをしたのだ、と言い、
わたしでなければできなかったのだ、と言い、
今この瞬間がかけがえのないことなのだ、と言います。

特別でなければならない理由はおそらくどこかにあって、
特別の思想は生き物として残っていこうとする潜在的な欲求かもしれず、
時々以上にそれに振り回されていることがあります。

そういう気持ちが生じると同時に、
自分の中で「それは特別ではない」と感じる認識も同時に生じます。

わたしの脳は急速に「一般化」作業を完了します。
どこかで聞いたことのある曲のアレンジ、
たくさんのヒトが共有していて、自分よりもそれを詳しく報告された情報、
いつかの誰かも同じように考えたと記述された筆跡、
原料も、作り方も、性質も、設計図も、歩留まりも分かってしまっている
ありふれた産業の機械製品などは
「自分が分かっている」わけではなくても、
「誰かがより分かっている」という時点で特別ではなかったりします。
そして自分が「ひと」であって、それを超えたいとどこかで思うこと、
それ自体が「誰かもまたそう思うこと」だと思ったりするのです。

わたしは「わたし」を誰かに認識して欲しいという欲求をもっています。
それがどういう意味を持つのか、と聞かれるとよく分からず、
ただそう思うから、と答えることになります。
そしてただ「認識して欲しい」というだけではなくて、
「好ましいもの」として捉えて欲しいと思っています。

「好ましい」として提示した「ある日の自分」は、
しかし好ましくない日に直面することで、
「あの時は良かったのに」と顧みるきっかけをつくってしまいます。

しばらくして、わたしが求めようとする「特別」は、
ずいぶんと都合のいい「特別」であることに気がつきます。
少しでも多くでも、「努力すれば確実に手に入る」という期待があること、
「自分は選ばれている」という心地よさがあること、
五感に対して快楽があることに対して
「特別」という言葉と結びつけていることになります。

そしてそんなものをいくら積み重ねたところで、
それが「特別の借り物」であり、自分の特別ではない、ということに
否応なく気付いてしまう日があります。

本当に特別なものが、「得られるかどうか全く分からない」か、
「ひどく難しい」ものであり、
危険を冒してでも自分の人生を賭けなければ成し遂げられないもの、
であることに認識を持つとき、
「特別」の傍観者となるのか、「特別」の創造者となるのかが
分かれています。

少しずつ考えを進めます。

人は「危険」をなぜ感じるのか、とふと考えます。
「危険」とは「自分を失うかもしれない」という認識のことで、
そうすると「自分を成り立たせるもの」が多くなるほど
危険の認識は増えることになります。

「自分」というものは「認識」でできているので、
「先が分からないもの」は認識の外にあり、
それが「危険」として知覚されます。
たとえ知らないことでも「自分を失わないもの」に対しては
「危険」だとは思っていません。

そしてある日の自分は「都合の良い快楽のような特別」を求め、
しかしそれが「魂の充実へと導く特別」ではないことは良く分かっていて、
それでまた理屈では説明のつかない
割の合わない旅へと出ることになります。

道の分からない旅なので仲間は連れず、
行き先も告げません。
たとえ連れて行きたくても、どこに行くか分からない旅では
案内のしようがないのです。
でも誰かが一人で「道の分からない旅」に出かけたなら、
その人とは必ず旅の途中で出会うことになります。
道の分からない旅はたくさんあるわけではなく、
実はひとつしかない、それは「わからないこと」という
たった一つの行き先です。

旅には何の準備も要らず、出発点も目的地もありません。
行き先はひとつなので、
旅に出た人が見てくる風景は同じです。
その風景を共有できる人と出会うことを
わたしは楽しみにしています。







2 件のコメント:

tomo さんのコメント...

お酒を飲んではじめて記憶をなくして、かつ後になって、わたしがいつもどおりにしゃべったり笑ったりしていたことをひとから聞いて、ああ、けっこう「自分」はなくならないものなんだなあ、と思いました。それから記憶をなくすことは、それほどこわくなくなったような気もします。いや、こわがるべきなのですが・・・。

「理屈では説明のつかない割の合わない旅」ということばに、わたしなりに深く納得するところがありました。いまなぜ自分がここにいるか、他人に説明することばは用意してあるのだけれど、それは自分に向けての説明ではなくて、けっきょく「わからないこと」に向かっているというのが、いちばん正直なところのような気もしました。

ところで、血圧計、ちょっとうらやましいです。

とりさん さんのコメント...

わたしは悪酔いしてずっと意識があるので、お酒で記憶がなくせるのはとてもうらやましいです。酔っている時は意識はあって判断でき、寝た後で忘れてしまう、というのが起こっている現象のようです。ということは、酔ってトラになる人は意図的にやっていることになります(笑)お酒は何が好きですか?

わたしの家系は母方が血圧が高くて、わたしも血圧が上がります。せっかちです。